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 こんにちは、ヤツです。私のサイト(https://monokoto-kansei.com/)に興味を持っていただき、ありがとうございます。

こちらは私のライフワーク的な活動を、ブログ記事としてまとめ&発信するために開設しました。
その活動は、以下の二点に大別されます。

  • 消費社会の変容(①買い手について)
  • 日本の商道徳(②売り手について)

 それぞれ並列のブログカテゴリーになっていますが、二つをつなぐ大テーマは『物を売り買いする人の営み』となり、①買い手と②売り手に分けてそれらを行き来しながら考察するイメージとなります。

… というわけで、先ずはこの二点を掘り下げるきっかけについて、前編(①買い手)・後編(②売り手)に分けながら紹介します。


前編(①買い手について)は、「消費社会の変容」への興味から「このサイト名の由来」に繋がった回となります!

『物の売り買い』の最前線

 私は以前、SP(セールスプロモーション, 販売促進)系の小さな広告代理店で営業や企画に従事していました。

当時の私が持っていた販売促進の認識は、
「お腹いっぱいの人の口をこじ開けて、もう一品流し込む」
ぐらいの感覚だったかと思います。汗

まぁ上記は例えとしても残念な表現ですが、クライアントである売り手側を後方支援するポジションとして、そのような気概を持っていた… ということです。

とはいえ、気概だけでは何ともなりません。

中途入社だった私には経験はもちろん知識も不足していたので、業界団体が発行する広報誌や専門誌をくまなく目を通すという毎日を送りました。

「売り方」には奥行き(歴史)があった

 くまなく情報収集はしていましたが、SNSやスマホ周りなど当時のバズワード(≒業界内の流行り言葉)っぽい事例ばかり目に付いて、かなり疲れに似もた違和感を感じる毎日でした。

そんなある日、業界団体の広報誌に面白い本が紹介されていたのを発見します。

JPM Network 2013年5月号
出典:JPM Network 2013年5月号

◆ ある本との出会い

『消費の動向に興味のある人へ。「第四の消費」(三浦 展 著)の一冊をお奨めしたい。
「物を私有すること」に充足を感じない!そんな時代の消費とは・・・・。
人は何を買うのか、手にするのか。
国家重視→家族、会社重視→個人重視→その先、第四の消費とは。』

出典:JPM Network 2013年5月号

上記の広報誌で紹介されていたのが、こちらの「第四の消費」という新書でした。

著者は三浦展という方ですが、知らない方向けに略歴を紹介します。

1980年代を席巻した堤清二氏が率いる西武百貨店が中核に座る「セゾングループ(後述)」のパルコに入社。
その後は同社の伝説的な情報誌であったアクロスで編集長も務めたとのこと。


なんかもう、著者の経歴の時点で面白そうですね。笑

単純な私は会社帰りにすぐさま書店で購入後、数日掛けて読み終えてしまいました。

付いていた書籍の帯

 この本は、日本の消費を専門的に見つめてきた三浦氏が、四つの消費社会が成熟を重ねて変容してきた様子を論じるという内容です。

(三浦氏の説については、自説の設定した時期があいまい等の批判もあるようです。しかし、私にとっては、十分な示唆が得られた一冊だったので超おススメします)


とは言え、本を読まなくても気が付くべきだったのですが、例えば戦後の物資不足のさなかのヤミ市と現在では、「売り方」なんて変わって当然!!ですよね。

今思えば、こんなの誰でもわかる事だろと笑 
… まぁ、いかに私が短絡的かつ近視眼になっていたのかと、強く反省した次第です。

「売り方」が消費社会の変容に影響されるイメージ

 私が関わっていたので「販促」や「売り方」を持ち出していますが、それらは広義のマーケティングにおいて、ほんの一部分でしかありません。

そんな捉えどころの難しい「マーケティング」について、最も権威のあるアメリカマーケティング協会(AMA)が以下のように定義しています。

◆ AMAのマーケティング定義

マーケティングとは、顧客、依頼人、パートナー、社会全体にとって価値のある提供物を創造・伝達・配達・交換するための活動であり、一連の制度、そしてプロセスである。』

Marketing is the activity, set of institutions, and processes for creating, communicating, delivering, and exchanging offerings that have value for customers, clients, partners, and society at large.

出典:Wikipedia(「マーケティング」の項より、2007年の定義を引用)

(こんな定義があるんだなという感じで、ささっと流し読みで大丈夫です。笑)

… では、なぜここで紹介したかと言うと、AMAのマーケティング定義は何度も見直されてきた事実を伝えたかったからです。

最初の定義は1940年に制定され、その後は(3年ごとの見直しを経て)2007年までになんと4回の改定を繰り返してきました。

社会や市場は変容を繰り返しているので、それも自然の成り行きでしょう。


あと、字義的にも Market(市場)が ing(現在進行形)で止めどなく変容していく様子が想起されて面白いですよね。

全体像も見えてきたので、ここで消費社会やマーケティング活動が変容する様子のイメージ化に挑戦しました。

★変容のイメージ図(1/5)

このイメージ図はブロック状の年表になっています。

タテ軸は上から10年ごとの年数で表し、
ヨコ軸は左から右へ

  • 世界の動向
  • 日本の動向
  • 流通・小売りの動向
  • テクノロジーの動向
  • 消費社会の変容(三浦氏の説)
  • マーケティング定義の変容(AMA)
  • マーケティング領域の動向

を並べています。
(三浦氏が示した四つの消費社会は、赤枠で囲ってある部分です)

※この横軸は左から右に影響を及ぼすだろうという、私の感覚で並べたものなのでご了承ください。

★変容のイメージ図(2/5)※クリックで拡大

タテ軸とヨコ軸の升目に思いつく事柄をプロットすると、何となくイメージしていたものになりました。(クリックすると別タブで拡大します)

三浦氏の説やAMAのマーケティング定義が変容を重ねていく過程も、より俯瞰できるようになったかと思います

この図を眺めながら、私が携わっていた「販促」や「売り方」も変容を重ねた歴史があったとうかがい知ることができました。

(先人の方々が、試行錯誤を繰り返した歴史のある業界だったのですね)

 

… 感傷にひたるのもここまでにして(笑)

次に私が繰りかえし述べている「変容の重なり」を、以下のイメージ図①~③で見てみます。

★変容のイメージ図(3/5)

先ず、ヨコ軸の「左から右(世界や日本の情勢から社会が変容)」に影響が波及していく様子を矢印を使ってあらわしています。

最初に「右から左(上記の逆方向)」に影響が波及するハズが無いと、イメージ図を見ればわかりそうですが、つい市場リサーチすら怠ってしまう態度は意外とよくある話なので、猛省しなければいけません。

★変容のイメージ図(4/5)

次に、社会や市場の変化を捉えてマーケティング定義も変容するので、

マーケティング業界に携わる様々な職種の人が、その変化にふさわしい働きかけを右から左にするイメージです。

逆に変化にふさわしく無い働きかけは、時代によって変容すると思いますが…

現在(2020年末時点)では自分の都合のゴリ押しなどは、より受け入れられない傾向になってきたかと思います。
例えば自分がやられても嫌であろう、周回遅れの「囲い込む」とか「買わせる」といった態度の事ですね。

今どきの消費者は高度に成熟しているので、無視されるのがオチだと思いますし、また無視して欲しいなと思います

… まぁそれはさておき、本題にもどります。

★変容のイメージ図(5/5)

上記が最後のイメージ図です。

これまで見てきたように、①と②が何度も往復して消費社会やマーケティング定義が幾重にも積まれた③の状態が、現在地点となります。

消費社会やマーケティング活動は、「らせん的」に発展してきた… という私のイメージが共有されて、なんか面白そう!と感じてもらえたら幸いです。

 次に、らせん的に発展した日本の消費社会とマーケティング活動ですが、その中で私が特に好きな時代やトピックにフォーカスします。

私のお気に入りなので、このサイトやドメインの「モノコト・感性研Q所」として私の活動をくくる名称となったぐらいです。

80年代の消費をリードした伝説の「セゾングループ」

 これまで見てきたように、日本の消費社会は国際情勢などの影響を受け、幾重にも変容を重ねてきました。

そんな消費社会で私がいちばん好きな時代は、三浦氏の区分で言うところの「第三の消費社会(1975~2004年)」になります。

区分年代消費のテーマ
第一の消費社会1912~1941年文化的モダン
第二の消費社会1945~1974年一家に一台, マイカー, マイホーム, 三種の神器
第三の消費社会1975~2004年量から質へ, 一家に数台, 一人一台, 一人数台, 3C
第四の消費社会2005~2034年つながり, 数人一台, カーシェア, シェアハウス
消費社会の四段階と消費の特徴
 出典:『第四の消費』P.33図表 から一部だけ抜粋


理由として私が1975年生まれで馴染みが深いことはもちろんですが(笑)、

現在から振り返っても、この時期に日本国内の「豊かさについての価値」が変容したと思われるからです。

[参考]これからは心の豊かさか、まだ物の豊かさか(時系列)出典:国民生活に関する世論調査(平成30年6月)
出典:内閣府による「国民生活に関する世論調査(平成30年6月)」より(画像, 出典PDF


内閣府による世論調査で「これからは心の豊かさか、まだ物の豊かさか
」という、よく使われるデータも参考になりますね。

赤枠で囲った時期は1976年(昭和51年)~1978年(昭和53年)で、この時期に買い手である消費者の心もちに変容があった事は確かなようです。


※ このグラフの下に、調査時の「豊かさについて」の設問が書かれていますので、下記に抜粋します。

◆ 内閣府調査の「心の豊かさ」と「物の豊かさ」の設問

心の豊かさ … 「物質的にある程度豊かになったので、これからは心の豊かさやゆとりのある生活をすることに重きをおきたい」

〇 物の豊かさ … 「まだまだ物質的な面で生活を豊かにすることに重きをおきたい」

出典:内閣府による「国民生活に関する世論調査(平成30年6月)

… こちらは1972年(昭和47年)に開始された調査ですが、この設問自体が「貧しかった時代」から「豊かになった時代」といった背景が見え隠れしますね。




 その前にあたる「第二の消費社会」は、終戦の1945年から始まり、高度成長期を経た大量生産・大量消費の時代でした。

さらに第一次オイルショックまでも経験した日本人は、
「ガムシャラに働いて物欲はみたされたが、本当の豊かさって何だっけ?」
と、ふと立ち止まって自らを省みたのかもしれません。

そんな空気感が漂いはじめた日本に新たな消費の道すじを示したのが、堤清二氏が率いる「セゾングループ」だったと言われています。

かつて「セゾングループ」の中核企業だった西武百貨店
かつて「セゾングループ」の中核企業だった西武百貨店


しかし、革新の象徴だった「セゾングループ」は現在その姿はありません

残念ながら2000年を前にバブル崩壊や平成不況を受け、事実上の解体されましたが、かつてのグループ企業は、現在でもなじみ深いブランドとして残されています。

  • 無印商品
  • ファミリーマート
  • パルコ
  • 西武百貨店
  • 西友
  • ロフト
  • 吉野家 etc…

これらの名だたる企業は、かつて同一のグループ傘下でした。

 この巨大なセゾングループを、一代で築きあげた堤清二は異色の経営者としても知られており、「辻井喬(つじいたかし)」のペンネームで小説や詩集を発表する作家だった側面も見逃せません。

「詩人経営者」とも呼ばれた堤清二のルーツは、東京大学在学中の学生運動への傾倒から共産党に入党(翌年除名)するなど思想活動も活発だったようので、創作はその思想活動も影響していることでしょう。

… このような時代背景で、堤清二はその二面性を存分に発揮して、1970年代後半~80年代に絶頂を迎える「セゾン文化」を創り上げました。

現在も散見される「セゾン文化」の遺伝子(『モノコト』論)

 堤清二とセゾン文化の姿勢は、当時の最大のライバルだったダイエー社(現イオングループ傘下)と比べても明らかに異なっていたようです。

◆ 革新的だったセゾンの経営姿勢

『1970年代から1980年代にかけて、セゾングループが手がける事業には、いつも何かしらの新しさがあった。話題性に富み、高感度のセンスを備えていたのだ。
(中略)

「商品を売るのではなくライフスタイルを売る」
「モノからコトの消費へ」
「店をつくるのではなく、街をつくる」

 かつて堤が提唱した方向性は、小売業やサービス業、商業施設の開発など、消費に関わるあらゆる産業で、今なお繰り返し、語られている。』

出典:「セゾン 堤清二が見た未来」日経BP社



対して、ダイエーが創業から一貫して標榜していたのは

「主婦の店」
「よい品をどんどん安く」
「価格破壊」
「流通革命」

などで、セゾングループとは方向性を異としていたことは明らかです。

 また、現在でも流通・小売などさまざまな産業で「モノ」や「コト」といった言葉が定着していますが、元々はセゾングループが1970年代後半からのイメージ戦略時に持ち込んだという説が濃厚で、1980年代には以下の資料から業界で定着していた事がうかがえます。

  • セゾングループが1985年9月に開設した施設「つかしん」のパンフレット(出典:社史「セゾンの発想」より)
  • 日経MJ紙で「モノ」「コト」が合わせて初出する1985年10月24日付のワコール社の記事(出典:日経テレコン調べ)


… ここまで読まれて、では「モノ」や「コト」って何だろう?といった疑問がわくかと思います。

特に産業界で使われてきた「コト」という概念は、定義付けもされないまま意味も少しづつ変容しているとした研究もあり、「コト」の大まかな語意としては下記を参照しました。

◆ 産業界で使われてきた「モノ」や「コト」の大まかな語意

『(前略)70年代, 80年代, 90年代以降のそれぞれの時代に用いられた「コト」を明らかにした。
コトはモノ(商品)と対比され, 「ライフスタイル」であり, 「記号」であり, 「体験」であった

出典:『顧客価値を創造するコト・マーケティング』中央経済社刊



「モノ」は常に商品そのものとして、固定されています。

しかし、「コト」という言葉は「ライフスタイル(1970年代)」「記号(1980年代)」「体験(1990年代)」といったように、時代と共に意味合いが変容しているようです。


私が面白さを覚えるのはこの部分で ……笑

前述の表のように消費社会を見すえながら、マーケティング活動も「らせん的な発展」をして変容を繰り返したと感じられますよね。

現在も散見される「セゾン文化」の遺伝子(『感性』の時代と経営)

 革新的な文化戦略を推進したセゾングループの経営姿勢について、今日(2021年1月のWikipedia調べ)では「感性経営」とも称されていますが、社史を見てもそのような記述は見つけられませんでした。

あくまで、流通経済誌などのメディアが付けた呼称かもしれません。

… とはいえ、1980年代に消費社会論の関心が高まるさなかに「感性」という言葉が注目されたのは事実のようです。

◆ 1980年代「消費社会論」から派生した言葉

『たとえば、商品の「良い悪い」を基準に消費行動を展開するのではなく、「好き嫌い」や「面白い面白くない」を基準に消費行動を繰り広げる「感性」世代に注目して、いわゆる「小衆」論が現れた。

(中略)画一的な「大衆」消費から、それぞれの感性を共有する仲間たる「小衆」が個性的な消費を繰り広げる時代に転化した、と。』

出典:社史『セゾンの発想』リブロレポート

上記で「感性」「小衆論」について言及していますが、その一石を投じたのは1984年に出版された『さよなら大衆。 感性時代をどう読むか』だったという説明が後に続きます。

当時話題になったこの本は、1980年代の消費社会論の中心として「感性」を時代のキーワードに押し上げたようです。


 その点が気になったので、流通や産業の専門的な資料を収集している、法政大学さんのイノベーション・マネージメント研究センターの蔵書目録検索(OPAC)「感性」について検索した結果を並べてみました。

出版年「感性」の検索数
–19690
1970-19790
1980-198921
1990-199912
2000-20092
2010-20181
(不明)1
出典:法政大学IM研究センター OPAC検索より

結果はおおむね、私が予想していたイメージ通りでした。

専門書を収集している同所でも1980年代が多かったので、「感性」というキーワードが特に注目されていたことが伺えますね。
(「大衆」に対する「小衆」は、その後定着しなかったようです)

新たな疑問・・・『売り手は何をしても良いの?その線引きは?』

 長くなりましたが(汗)

このような経緯で私は「消費社会の変容(①買い手について)」興味が高まり、「セゾンの文化」の影響から、自分のライフワーク的な活動を『モノコト・感性研Q所』と勝手に名付けた次第です。

もちろんこの頃には、私が販促に抱いていた違和感(お腹いっぱいの人の口をこじ開けたり、業界的なバズワードに偏ったり)は、すっかり解消されていました。


加えて①買い手側である消費社会が変容をすると、

マーケティング活動も合わせて変容する様子が重なり、先人の蓄積がらせん的に重なっていた事を知りました。


その先人の蓄積を知れば知るほど、「売り手」都合のテクニックとして小手先であれやこれやと施すのは本質的では無いし、何より「買い手」側である消費者への敬意を欠いた態度だったと思えてきます。

正直「恥ずかしい」という気持ちが残りました。苦笑

… しかしここで、上記のような思いに至るころ、私の中でまた何かふつふつとした疑問が沸き上がってしまいました。

それは、生活者である①の買い手に対して、
『②売り手は何をしても良いのか?またその線引きは?』
といった率直な疑問です。
(私は販促やプロモーションに携わる業界にいたので、特に感じたのかもしれません)

例えば「悪徳商法」と聞くと多くの人が、悪いこと(≒自分はやらない)と思われるでしょう。

しかし、その良いことと悪いことの線引き(違法ではないグレーゾーン)は、何を根拠に判断すれば良いのでしょうか?

さらに私が興味を覚えたのは、
日本の歴史や文化の中で、そのような商道徳はどのように発生して、今日まで育まれてきたのか?
といった点です。

… というわけで、後編の「日本の商道徳(②売り手について)」に続きます。