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 こんにちは、ヤツです。
前編の①から続けて読まれる方は、下記は飛ばして本文からお読みくださいませ。

—————— ココから ——————

こちらは私のライフワーク的な活動を、ブログ記事としてまとめ&発信するために開設しました。
その活動は、以下の二点に大別されます。

  • 消費社会の変容(①買い手について)
  • 日本の商道徳(②売り手について)

 それぞれ並列のブログカテゴリーになっていますが、二つをつなぐ大テーマは『物を売り買いする人の営み』となり、①買い手と②売り手に分けてそれらを行き来しながら考察するイメージとなります。

 前編(①買い手について)では、消費社会やマーケティング活動がらせん的に発展した様子から、先人が「売り方」について工夫を凝らしてきた点や、伝説の「セゾングループ」が残した遺伝子について掘り下げた記録となります。

その「セゾングループ」の遺伝子から、このサイトの名称でもある「モノコト・感性研Q所」と名づけ、めでたく私のライフワークとなりました。

… しかし、販売促進に携わっていた私は、

一方的に「売り手」の都合を押し付けるような態度は、「買い手」に敬意を欠いていたと気が付いて&恥ずかしい気持ちになり、

『売り手は何をしても良いのか?その線引きはどこに?』といった疑念も生まれた次第です。

—————— ココまで ——————

後編(②売り手について)は「日本の商道徳」に触れつつ、新たな疑念をどのように氷解させたのか?という回となります!

専門誌で「日本の商人道」について知る

 私が広告業界のSP(セールスプロモーション, 販売促進)系に従事していたと、前記事の①で記しましたが、売り手側の節度は常に大事な問題としてついて回ります

「良い悪い」の線引きの基準として、自分の感覚に頼った「好き嫌い」もあるでしょう。


でも何かハッキリさせたい、モヤモヤ感が拭えません。

この線引きの基準として、何かしらまとまりがありそうなので、 私は日本の文化的な背景が影響していると日ごろ考えていました

そんなある日、たまたま専門誌のバックナンバーを検索していたら、偶然にも「商人道」特集号を発見します。  

「販促会議」2012年4月号の表1
(画像出典:Amazon)



『いま学ぶべき「商人道」』

以前から気になっていたテーマを業界紙が扱っているので取り寄せてみると、「三方よし」で知られる近江国(現在の滋賀県域)の近江商人を中心に、16ページに渡り日本の商人道を意欲的に特集した回でした。

(余談ですが、この号を最後に同誌の「商人道」特集は組まれていないようです。笑)

近江商人像
近江商人像

「三方よし」の有名フレーズ(売り手よし、買い手よし、世間よし)が、やたら耳に心地よいので調べてみると、近江商人の家訓は「儒教(四書五経)」に深い影響を受けていたことが解りました。

 

… ここで耳慣れない言葉(?)が突然出てきましたが、「儒教」と「四書五経」の説明は下記をご参照ください。

◆ 儒教(じゅきょう)
孔子を祖とする学派の教え。(中略)人類の幸福・社会の平和の実現を目的とする一種の倫理学・政治学である。

◆ 四書五経(ししょごきょう)
・四書は、宋の朱熹(しゅき)が中心書物として新たに定めた四つの書物(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)の総称。
・五経は、宋以前の儒教の経典として重んじられた五つの経典(『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』)の総称。

参照:『社会人のための漢詩漢文小百科』大修館書店


上記の黄色線部分に少し説明を加えると、「論語(ろんご)は「孔子(こうし)」が弟子や時の為政者に話したことを、さらに後年の孫弟子たちが約1800年前にまとめた言行録となります。

・・・「論語」や「孔子」は国語の授業で、聞いた覚えのある方も多いかもですね。

とはいえ、私は論語の内容をすっかり失念していたので、この機会にあらためて読み直したのでした。苦笑

実は「論語」ってぜんぜん堅苦しくない

 今回あらためて論語を手にしたのも『売り手は何をしても良いのか?その線引きは?』といった疑問が出発点でしたが、

やたら私の肌感覚にピッタリ合うので、ちょっと不思議な気分になった記憶があります。

(国語の授業を思い出してみると、文法のレ点や返り点の使い方に終始して、文章やその主旨にまでは解釈が及ばなかったのでしょう)

なんとなく持っていたイメージで、人類史上の大ベストセラー「西のバイブル、東の論語」と並び読み継がれてきたので、たぶん説教調でやたら堅苦しいのかなぁと思っていたら・・・

意外とそうでもありませんでした。笑

孔子像
孔子像

私の感想だけでは何が何やらなので、「論語」から先ず二つの句を紹介します。

◆ 孔子のお酒の席とくつろぎの表情

● 本文①
『唯(た)だ酒は量なく、乱に及ばず。』
〇 訳①
「酒についてきまった量はないが、乱れるところまではいかない。」
(郷党 第十の八 / 10-8 より)


中国のお酒

● 本文②
『子の燕居(えんきょ)、申申如(しんしんじょ)たり、夭夭如(ようようじょ)たり。』
〇 訳②
「先生のくつろぎのありさまは、のびやかであり、にこやかである。」
(述而 第七の四 / 7-4 より)

出典:『論語 金谷治訳注』岩波文庫より、一部抜粋

一句目では孔子はお酒好きでしかも結構強いとあり、二句目の弟子たちの前で見せるくつろぎの情景も、何か親近感がわいてきますね。

さてさて、なぜこの二句を先ず紹介したかというと、
孔子が意外と普通のオジサンだと感じて欲しいからです。笑

… というのも、孔子は「儒教」の説明文にもあるように、「一種の倫理学・政治学」を説いたので堅苦しいイメージが付きまとうんですよね。

いやいや~、決してそんなことありませんよ。

孔子はこんな普通のオジサンですが、日本の商道徳を考える上で欠かせない存在なのです。

硬派の商人道「石田梅岩(都鄙問答)」の成分を分析する

 次に私は、孔子の言行録である「論語」はどのぐらい日本の商道徳に影響を与えているんだろう?

と思い立ち、石田梅岩(いしだばいがん)のこれまた言行録である「都鄙問答(とひもんどう)」を手に取りました。

石田梅岩像
石田梅岩像

この石田梅岩という人物は、一般的にはほとんど知られていない存在ですが、「日本の商道徳」をひも解く際、まちがいなく言及される偉人です。

ここで簡略ではありますが、石田梅岩を紹介します。

石田梅岩は、徳川綱吉が5代将軍を受け継いだころの貞享2年(1685年)に、丹波国桑田郡東懸村(現京都府亀岡市)に生まれた江戸時代の市井学者です。

著書に「都鄙問答(とひもんどう)」などがあり、当時の商売や金儲けはきたないこと(賤商観 / せんしょうかん)とした時代無償の私塾を開き、

問答形式によって商工業者に向けて新たな「商人道・町人道」を地道に説く様子が記されています。

… 石田梅岩は大胆にも、当時の支配階級であった武士と同じく

「商人が利益を得ることは、武士の棒禄(ほうろく / 主に仕えて得る給与)と同じだ。汚くも何ともない」と喝破し、誰からも後ろ指を指されない正しい商いを心がけよう!

と主張しました。

石田梅岩は幼少時から理屈っぽい性質を持っていたそうで(笑)、商家で勤め人になっても自前で学問を続け、なんと45歳になってから上記のような活動をはじめたそう。

 

私は「都鄙問答」を通読して、その石田梅岩の活動や思想のユニークさは「儒教・仏教・神道など」をミックスしている点も起因しているかな?と思った次第です。

そこで興味がわいたのが、「都鄙問答」全144の問答で引用する文献の傾向でした。

がんばって調べたので、下記の表をご覧ください!

整理番号 種別 引用数 割合
1 論語 76 28.15%
2 孟子 58 21.48%
3 その他 四書五経 44 16.30%
4 朱子学 21 7.78%
5 その他 東洋思想 23 8.52%
6 仏教 26 9.63%
7 神道 11 4.07%
8 その他 文学など 11 4.07%
  合計 270 100.00%

 (私が手で拾い上げた数値ですので、あくまで参考データとしてご容赦願います)

なんとなく傾向は把握していましたが、このように「1.論語」と「2.孟子」でほぼ半分の約49.6%を占めていたのは驚きです。
(※表の「孟子」は孔子の没後約100年後に生まれ、孔子の思想を発展させた後継者。書物と人物名は同じ)

そして、前段の説明から「儒教」として表1~4を総計してみると、「都鄙問答」の引用の約73%以上が「儒教」で構成されていることも分かりました。

都鄙問答の引用傾向をまとめた円グラフ
『都鄙問答』引用傾向の円グラフ

石田梅岩の思想は『石門心学(せきもんしんがく)』と称され、没後も弟子たちの活躍もあり、江戸時代のみならず幕末にかけて全国的に普及しました。

そして「都鄙問答」は、戦前戦後を経た2020年代に入った現在でも、ビジネスパーソンや商人の心の書として読み継がれています。

知名度はありませんが、古典として読み継がれてきた質の高さを感じますね!

… そんな知る人ぞ知る古典の成分は、「論語」を中心した「儒教」にかなりの部分を割いていることが分かり、

私はますます論語に入れ込むようになったのです。

新一万円札の肖像・NHK大河ドラマで注目が集まる大偉人「渋沢栄一」

 私が着目していた「日本の商道徳の系譜」は、これまで江戸時代の商人が中心でしたが、明治維新前後に時代が進むにつれ、ある偉大な人物とその思想に出会うことができました。

それは「日本近代資本主義の父」とも称される、「渋沢栄一」という日本の大偉人です。

渋沢栄一アンドロイド
渋沢栄一アンドロイド

渋沢栄一もこれまで知名度が高いと言えませんでしたが、2024年度に新紙幣(一万円札)の肖像に採用され、2021年度のNHK大河ドラマ「青天を衝け(せいてんをつけ)」の放送を間近に控えていることもあり、相乗効果で注目が高まっています。

出典:Google トレンド(画像は2021年1月調べ)

 無料ツール「Google トレンド」で注目度(検索ボリューム)を可視化すると、新一万円札肖像決定の報道があった2019年4月9日に検索ピークがあったようですね。

その後、すっかり落ち着きますが

2021年は前述のNHK大河ドラマ「青天を衝け」が放送を予定しているので、今後はさらに注目度も高まっていくのは間違いないでしょう!

… ところで、

知らない方には「渋沢栄一は何がスゴくて何に注目する点があるのだろう?」と不思議に思う方が多いかと思います。

そんな声もよく聞くので、下記に渋沢栄一のプロフィール的な略歴をまとめました。
(スーパーマンすぎて、功績やエピソードが多いことはご容赦ください)

 渋沢 栄一(しぶさわ えいいち)の略歴


〇—- 「農家・商人・武士・志士」時代 —-〇

◇生誕:1840年(天保11年)2月13日
◇出生地:武蔵野匡榛沢群血洗島(現:埼玉県深谷市血洗島)

◇藍玉を扱う半農半商の豊かな家庭で育ち、従兄の尾高惇忠に漢籍の手ほどきを受ける。

◇尊王攘夷思想に傾倒。1863年(文久3年 / 23歳)に高崎城乗っ取り・横浜焼き討ちのテロ計画を企てるが計画は中止になり、京都に出奔する。


〇—- 「家臣・幕臣・会計係」時代 —-〇

◇1864年(元治1年 / 24歳)数奇な縁から一橋慶喜に仕えた後、慶喜が第十五代将軍となり、渋沢栄一は幕臣となる。

◇1867年(慶応3年 / 27歳)徳川昭武を団長した遣仏使節団の一員として、パリ万国博覧会へ随行して、欧州の国力の源泉となっていた経済・金融システムを学ぶ。

◇フランス滞在中だった翌年に日本で大政奉還・明治維新が起こり、予定を切り上げて帰国する。


渋沢栄一のイラスト


〇—- 「官僚・実業家」時代 —-〇

◇1869年(明治2年 / 29歳)明治政府から突然の出仕命令が下るが、改正事務部門の設立を条件に立て、後に政府に仕官する。

◇1873年(明治6年 / 33歳)に大蔵省を辞任後、第一国立銀行をはじめ指導的立場で約480社の企業の設立・発展に貢献すると共に、商工業や実業界の社会的向上に努め、経済団体の組織や商業学校を創設するなど、近代的な制度を創設。

◇その功績から「日本資本主義の父」「実業界の父」と呼ばれる。



〇—- 「慈善家・篤志家」時代 —-〇

◇晩年は、実業家時代から携わる社会公共事業の育成(600以上の慈善事業にも関わる)に注力する。

◇民間外交としてのアメリカとの関係改善など、各種の国際親善の功績から、ノーベル平和賞候補に2度ノミネートされる(残念ながら受賞には至らず)。

◇死没:1931年(昭和6年)11月11日 / 満91歳

出典:『渋沢栄一伝』ミネルヴァ書房, 『別冊太陽 渋沢栄一』平凡社

4つの時代に分けて区分しましたが、渋沢栄一は様々な転機に応じて自らを適応させています。

その中でも特に上記略歴の黄色でマーキングした①~②は、渋沢栄一の功績として重要な箇所にあたり「日本近代資本主義の父」と言われる所以ですね。

… ここで強調しておきたいことですが、その渋沢栄一は生涯を通じてなんと前述の「論語」を人生の教訓としていたということです。


(孔子はただのお酒の強いオジサンじゃなかったんですね。笑)

渋沢栄一の『論語と算盤』『道徳経済合一説(義利合一説)』で全て氷解

 渋沢栄一は幼少時代に従兄の尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)から漢籍の手ほどきを受けていたので、元々「論語」の素養を持ち合わせていました。

そんな馴染みのあった「論語」と渋沢栄一に特別の関係ができるのは、大蔵官僚を辞任後、以前から切望する実業界に入るタイミングとなります。

渋沢栄一「論語との特別な関係」

「それは初めて商売人になるという時、ふと心に感じたのは、(中略)志を如何に持つべきかについて考えた。その時前に習った論語のことを思い出したのである。

論語にはおのれを修め人に交わる日常の教えが説いてある。論語は最も欠点の少ない教訓であるが、この論語で商売はできまいかと考えた

そして私は論語の教訓に従って商売し、利殖を図ることができると考えたのである。」

出典:『論語と算盤』角川ソフィア文庫

渋沢栄一は論語を「最も欠点の少ない教訓」として、以降のビジネス(実業家)時代から引退後のフィロソフィー(慈善家・篤志家)時代までの活躍を下支えていたことが分かります。

上記で言及されていた、渋沢栄一が大事にした「論語」との関係ですが、

実は公の場で説くのは「実業界から身を引いた晩年期」から、ということも興味深い事実でしょう。


上記でも引用した「論語と算盤(ろんごとそろばん)」は、渋沢栄一晩年期の講演を集めたものとして有名です。

この「論語と算盤」内で、渋沢栄一が晩年に「論語」を熱心に啓蒙しようとしたキッカケが語られています。

 ◆ 日本人の商道徳について

「わが日本に於ける商工業者は、なおいまだ旧来の慣習を全く脱することが出来ず、ややもすれば道徳的観念を無視しして、一時の利に趨(はし)らんとする傾向があって困る

欧米人も常に日本人がこの欠点があることを非難し、商取引において日本人に絶対の信用を置かぬのは、我邦(わがくに)の商工業者にとって非常な損失である。」

出典:『論語と算盤』角川ソフィア文庫,()内加筆

上記は、渋沢栄一が62歳(明治35年)でイギリスで直に受けたクレームの件を述べています。

日本に資本主義を導入した立役者とも言える渋沢栄一でしたが、後に経済界を代表して渡ったイギリスで、日本人と取引をする現地の商工業者から直接クレームを訴えられ、かなりショックを受けたそう。

現在の私たちの感覚だったら、どこか他の国の話しとも思えるような内容で、ちょっと目を疑いますね。笑

資本主義のハード面(法整備などの基盤)は整いつつあったけど、ソフト面(商道徳)はほぼ未着工だったわけです。

このような経緯から、帰国後の渋沢栄一は「論語」の啓蒙に力を注ぎ、商道徳の向上にも努めることになったそうです。

渋沢栄一アンドロイドの「道徳経済合一説」(深谷市渋沢栄一記念館)
深谷市 「渋沢栄一記念館」にて

その集大成ともいえるのが、渋沢栄一83歳(大正12年)時の講演『道徳経済合一説』でしょう。

「日本近代資本主義の父」として最晩年にあたる本講演は、現在でも貴重な音源として残され、私たちはその教えを耳にすることができます。



… やっと、ここまで到達して

私が持っていた疑念(売り手は何をしても良いのか?その線引きはどこに?)は、渋沢栄一が説く「論語と算盤」「道徳経済合一説」にて氷解できました。


渋沢栄一が啓蒙したように、儒教の中でも論語をはじめとした「孔孟の教え」で線引きするのが回答にになります。

これまで見てきた「日本の商道徳の系譜」もこの延長線上にあるので、全く違和感も感じません
(私が何となく抱いていた論語への親近感が、ここまで誘ってくれました。笑)


それでは最後になりますが、

具体的にどんな感じで私が理解したのか?をお話しして、この記事を〆たいと思います。

「日本の商道徳の系譜」に通底する『王道』と『覇道』

 改めてですが、前述の「論語と算盤」「道徳経済合一説」についての説明となります。

◆『論語と算盤(ろんごとそろばん)』とは

渋沢栄一 70歳(明治43年)時に友人に送られた画帖の絵柄に由来して、梶山彬(詳細不明)が編集した十章九十篇からなる講演録をまとめた、1916年(大正5年)初版の書籍。
「国の富(算盤)」の根源は、「仁義道徳(論語)」からなる正しさがなければ永続されない、という渋沢栄一の信条が表されている。


◆『道徳経済合一説(どうとくけいざいごういつせつ)』とは

渋沢栄一 83歳(大正12年)時に帝国発明協会が大正時代の各界名士の音声をレコードに残すことを企画して、日本蓄音機商会で録音した約11分の講演。
こちらも「仁義道徳(論語)」と「生産殖利(算盤)」とは元来ともに進むべきものである、という渋沢栄一の信条が述べられている。

参照:渋沢栄一記念財団 情報資源センターなど

渋沢栄一が一貫して抱いていた信条は、

そのまま私が抱いていた『売り手は何をしても良いのか?』といった疑念への回答になっていました。
売り手の各々が何をどうするかは本人次第ですが、それでは世の中の永続的な富にはつながらない!ということですね。


また、繰り返しになりますが

『その線引きはどこに?』という疑念に対しては、
これまで見てきた日本の商道徳の系譜からも、

儒教の中核である孔孟の教え(聖人孔子とそれに次ぐ亜聖孟子の教え)」につきると、渋沢栄一は「論語と算盤」の中で述べています。


さらに、「儒教」はお金儲けや商売を否定しているという誤解がありますが、孔子や孟子はそんなことは言っていません。  

ただ、「義に反した利」について戒めているだけなんですよね。




… そこで「孔孟の教え(聖人孔子と亜聖孟子の教え)」を用いて日本の商道徳の系譜にもなぞらえた図を作成してみました。

『王道』と『覇道』で売り方を捉える
図:『王道』と『覇道』で売り方を捉える
※クリックで拡大

約2500年前の中国は戦乱の時代で、孔子は「徳」や「仁」を掲げた理想の善政を標榜しました。
今で言う、政治家志望ですね。

その孔子の思想を発展させた孟子は『王道(おうどう)』と『覇道(はどう)』を掲げましたが、こちらも日本の商道徳の系譜でよく用いられている概念となります。

孟子は『王道』を「徳によって行う仁政」と位置づけ、
反対に『覇道』を「力を背景として仁政をまねる政治」として非難しました。

そして日本の商道徳の系譜でも、

三井家の三代目にあたる三井孝房(みついたかふさ)や、戦後の日本商業で指導的役割を果たした倉本長治(くらもとちょうじ)らが、この『王道』『覇道』を商業に転用して啓蒙したことが知られています。

そのような文脈から、先ほどの図は

『王道』「徳や仁, (を)与える, 相手の都合, 三方よし, 善悪で判断」として、
『覇道』「悪知恵や強引さ, (で)奪う, 自分の都合, 自分のみよし, 損得で判断」

と対比させてみました。


… まぁこのような商道徳的な話は、よく「キレイゴト」と揶揄されがちです。苦笑

しかし! 日本で約480社の企業設立に関わった渋沢栄一の前では、一笑に付されるだけでしょう。

 

それでは最後に、

渋沢栄一を扱うNHKの2021年大河ドラマ、『青天を衝け』のビジュアルとサブタイトルを紹介してこの記事を〆させていただきます。

NHKの2021年大河ドラマ「晴天を衝け」のポスター
画像出典:『青天を衝け』公式Twitter より



『仁なる者に 敵は無し』
仁者無敵(じんじゃむてき)です。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!