商品紹介にプロモーションが含まれています

 弊ブログのテーマの一つとして「②売り手(日本の商道徳)」を扱ってきました。しかしながら、実はなかなか掘り下げられなかった領域があったりします。

… それが、江戸商人たちの「成功と没落」についてです。

そんなタイミングの2025年11月、「江戸商人」を扱ったある本が発売されていました。こちらがかなりの良書!だったので、参照しながらその領域をまとめたいと思います。

『江戸商い解剖図鑑』を解剖する

 世に「江戸商人」を扱う本は数あれど、これはもう新機軸と言える一冊でありました。


こちらは最近書店で存在感を増している、エクスナレッジさんの「解剖図鑑」シリーズからです。私も以前から歴史系のを、書店で色々と手に取って見ていました。ハズレっぽいのが無く全体的に良質な印象を持っていた次第です。

その「解剖図鑑」シリーズから、ついに「江戸商人」に焦点を当てた一冊が登場となります!タイトルは『江戸商い解剖図鑑』で、副題に『栄華の極みから凋落へ 商人たちの浮き沈み噺』とあるのが、また良いですね~


… 著者の菊池ひと美さんは、本書で文はもちろんですが、なんと「絵(原典を模写・採色)」も担当して描かれています。この水彩っぽい淡い色彩やタッチが、本書のテーマ「江戸商人の栄枯盛衰」のロマンや儚さと重なる感じがまた良いんですよ。

『江戸商い解剖図鑑』の概要

 本書はA5判で全128ページのコンパクトで手に取りやすいサイズ感です。とはいえ「江戸の商人」を知る上で、大変充実した内容となっているのでご安心くださいませ。

著者の菊地ひと美さんは、その充実した本書の概要をこのように説明しています。

◆ 本書の着想と「三つの柱」

 この本は、京都の三井本家二代目である父の話を、三代目高房が記した『町人考見録(ちょうにんこうけんろく)』を元に発想しています。

「こんなに奢り贅沢をしたら店は潰れるから自戒するように」と、子孫の戒めのために書き記されたものです。この本では商家の“浮き沈み”を取り上げ、全体としては次の三つを柱としています。

(以下抜粋)

一つ目は、豪商として成功した人びと。
二つ目は、京都で一番、東海道で一番といわれた人びとが没落するさま。
三つ目は、江戸時代の豪商の暮らしぶり。


出典:『江戸商い解剖図鑑』はじめに より


説明の中にある「三井家」とは、そうです、現在まで続く百貨店・三越さんの創業家となります。三井家の元祖である「三井高利(みついたかとし)」が、1673年に日本橋(現在の日本橋本町から現在地に移転)に呉服店・越後屋を開いたのが、そのはじまりです。

◆ 現在の日本橋三越本店 (中央区日本橋)
◆ 現在の「日本橋三越本店」
(東京都中央区日本橋室町)

三井高利は後述する井原西鶴(いはらさいかく)のベストセラー書『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら, 1688年刊)』において、「大商人の手本」「世の重宝」とまで謳われました。

… なんと本町一丁目に開業してわずか15年で、小説の題材として描かれたのです。三井家は瞬く間に、江戸時代を代表する豪商となりました。

◆ 「三井越後屋京本店記念庭園」
(京都府中京区二条上る冷泉町)

当時の商人の理想は「江戸店持京商人(えどだなもちきょうあきんど)」や「江戸下り京商人」と言われました。最大の工業産地であった京都は、最高級の西陣織などの仕入れにも便利であったからですね。

一方で最大の市場は江戸であったため、商人は京都に本拠を置き、江戸に店舗を構える形態を理想としました。


そんな当時の理想であった商人像を体現した一人が、三井越後屋をはじめた初代・三井高利だったのです。

◆ 『江戸商い解剖図鑑』と『町人考見録 現代語訳』 (筆者所有物)
◆ 『江戸商い解剖図鑑』と『町人考見録 現代語訳』
(筆者所有物)


『町人考見録(ちょうにんこうけんろく)』は、京都の三井本家二代目である父・高平の話を、三代目高房が子孫向けに戒めとして記したものです。奉公人の重鎮・中西宗助の勧めにより作られ、1730年(享保15年)頃に成立しました。

内容は、京都を中心にした約50家の大商人の没落について、当時70代後半になる二代目高平が見聞を語ったものとなります。

 『江戸商い解剖図鑑』は、『町人考見録』に着想を得て書かれたと前述されていましたね。しかしながら、本書は商家の没落だけではなく、成功・栄華、そして江戸時代の商人の暮らしぶりといった三つの視点から、多角的に描き出しています。

  • 『江戸商い解剖図鑑』目次
    • はじめに
    • 1章 江戸の商いの基本(基本一から三)
    • 2章 江戸の豪商たちの成功噺(成功一から八)
    • 3章 江戸の豪商たちのしくじり噺(破産一から十一, 他二つ)
    • 4章 商家の贅沢な暮らしと粋な趣味(暮らし一から十四, 趣味一から六)
    • 5章 商家の奉公人の暮らしとしくじり噺(暮らし一から六, しくじり一から六)
    • 参考付録 江戸時代の着こなし ー江戸の遊び時間ー
    • おわりに


… 私の今回の記事では、第2章第3章を中心に詳しく見て行きたいと思います。


成功の『日本永代蔵』から没落の『町人考見録』へ

 この章では、先ず元禄期から享保期にあった、「商人を取り巻く時代背景」を整理します。

次に『江戸商い解剖図鑑』2章の「成功」、そして3章の「没落(しくじり)」の順に触れていきましょう。

商人を取り巻く時代背景(元禄から享保へ)

 以前にがんばって「江戸時代の商人思想」をまとめた記事を書きました。その際にこちらの対応年表も作成したので流用いたします。(※今回は真ん中の列は直接関係しません)

江戸時代の前期から中期にかけてと、イメージしてもらえれば十分かと思います。

☆石田梅岩と江戸時代の商人思想(4/9)
☆石田梅岩と江戸時代の商人思想(4/9)
(クリックで拡大)


江戸時代前期にあたる元禄期は、楽観的な成長期(インフレと消費ブーム)に入っていました。「元禄バブル」とも言われた時代で、多くの豪商(主に幕府の御用商人)も生まれています。

そんな元禄期に、日本で初めての経済小説『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』が刊行されました。

◆ 井原西鶴像
(大阪府大阪市天王寺区生玉町)

著者は上方の井原西鶴(いはらさいかく)です。俳諧師としての伝説的な面もありますが、その晩年に浮世草子(娯楽性の高い読み物)の名作を多く残した事でも知られています。

副題の「大福新長者教」が示す通り、江戸時代の商人がいかにして富を築き、あるいは失うかというリアルな姿を描いた作品です。


『日本永代蔵』は巻一から巻五の全三十話で構成されています。どの話もホント面白いですよ~! 


… 井原西鶴はこの本で「世に銭ほど面白きものはなし」と喝破しました。この有名な言葉は、当時の世相(元禄バブル)をよく反映していると思います。


 その後、『日本永代蔵』が書かれた元禄バブル期から、約30年後には世相がガラッと様変わりしてしまいます。第8代将軍・徳川吉宗による「享保の改革」が打ち出されたのです。

その辺りの経過については、下記の比較表を用いながら説明を加えます。

要素元禄期(1680年代〜)享保期(1720年代〜)
代表的な書物『日本永代蔵(1688年)』『町人考見録(1730年頃)』
時の将軍徳川綱吉(第5代将軍)徳川吉宗(第8代将軍)
空気感華美・奢侈・開放的質素・倹約・統制的
時代背景元禄バブル(経済成長)享保の改革(経済停滞・構造不況)
経済の基軸米(米遣い)から貨幣への移行貨幣(金銀・銭遣い)の定着
通貨や物価元禄の改鋳(質を下げて増発)によるマイルドなインフレ貨幣良質化によるデフレと新田開発や豊作による米価暴落(米価安の諸色高
法的環境商慣習による比較的安定した債権保護相対済し令による大名貸しの踏み倒し
対「武士」との関係商人が経済力で主導権を握りつつあった武士による踏み倒しの常態化
◆ 商人を取り巻く時代背景(元禄期 vs 享保期)


江戸幕府は「米」を価値の根幹(石高制)としつつ、「貨幣」を全国流通の道具として整備する、いわば「米と貨幣の二本立て」を理想としていました。

「米」は年貢(税)として農民から徴収され、そのまま武士に支払われる俸禄(給料)として支払われます。しかし、手元にお米だけがあっても生活はできません。消費物資を買う何かしらの「貨幣(金銀・銭)」に換金する必要性が生じます。


元禄期(1680年代〜)は経済が活発になり、その米(米遣い)から貨幣への移行期になりました。というのも、この頃に幕府の財政赤字(寺社造営や明暦の大火後の江戸復興など)を埋め合わせるため、元禄の改鋳(金の含有率を84%から57%へ低下)が行われています。

その結果、不足していた貨幣の流通量が一気に増え、三都(消費都市の江戸、流通拠点の大坂、手工業の京)を中心に、全国的に流通が活性化しました。


元禄文化の華やかさは、人々の消費意欲を大いに刺激しました(元禄バブル)。このように、都市部で「貨幣」が普及すればするほど、「米」の利便性が相対的に低くなるのは避けられません。

◆ 米遣いから銭遣い経済へ「一粒の光(堂島米市場跡)」 (大阪府大阪市北区堂島浜)
◆ 米遣いから銭遣い経済へ「堂島米市場跡」
(大阪府大阪市北区堂島浜)

 元禄期の後には、新井白石(第6代将軍・家宣と第7代将軍・家継に仕えた)が、徳川家康の制定した「慶長小判」と同じ、金含有率84%という高い水準(正徳小判)に戻しました。

これは質の悪い(混ぜ物をした)貨幣を流通させることは、統治者としての徳を欠き、将軍の威信を低下させる元凶(物価高, 道徳的退廃, 天災の遠因など)であると考えたからですね。

… しかし、急激に貨幣の流通を絞ったため、今度はデフレ(不況)が発生してしまいます。

 幕府や諸藩の財政難が続く中、第8代将軍に就いた徳川吉宗は「享保の改革」に着手しました。徳川吉宗は悪鋳の否定を踏襲して、金の含有率を87%(享保小判)へとさらに高めます。

あらゆる商品の値段が下がる中、「享保の改革」の一端である「新田開発」が推奨されました。そして気候も温暖湿潤で豊作が続いた事もあり、米の価格が暴落してしまいます。

そして、本来なら米と連動するその他の物価(諸色)が連動しない「米価安の諸色高(べいかやすのしょしきだか)」という事態が生じました。


この事態は大名(藩主)にとって、極めて大きな問題となります。前述のように、石高や俸禄(給料)は米を根幹に置いた仕組みです。米価が暴落すれば、そのまま収入は激減してしまうのです。


こうした事態を打開するため、各大名は多額の資金を借り入れるようになり、有力商人側からの「大名貸し」が一段と盛んになりました。


そして、後には返済トラブルも多くなり、商人たちが評定所(裁判所)へ訴え出るケースが激増してしまいます。

これを受けて、徳川吉宗は1719年に「相対済し令(あいたいすましれい)」を発布しました。この令は、金銭貸借に関する訴訟(金公事)を幕府が原則受理せず、当事者間の話し合い(相対)で解決させるというものでした。

… しかし、実質は借金に苦しむ武士への救済策です。商人への返済がさらに滞るケースが増え、踏み倒しを助長しました。

◆ 企画展「三井高利と越後屋」で展示された『町人考見録』
(東京都中央区日本橋室町)

 『町人考見録』は、京都を中心に有力大商人約50家の没落について書かれたものです。その大半がこの大名貸しによる回収不能・踏み倒しによるものでした。

華美・奢侈の「元禄バブル」から、質素・倹約の「享保の改革」へ、時代は大きく転換しました。その転換期に商人たちが直面した厳しい現実を、『町人考見録』が書き残したと言えるでしょう。

成功した商人(蔦屋重三郎, 三井八郎右衛門 etc…)とその論理

 それでは、次に江戸時代に成功した商人を見て行きましょう。『江戸商い解剖図鑑』では、8つの成功噺が収められています。

  • 2章 江戸の豪商たちの成功噺(成功一から八)
    • 成功一 / 近江の蚊帳売りから江戸の豪商へ 産物廻しで拡大していった西川家
    • 成功二 / 行商人から医者へ転身! 製薬で大成した正野玄三
    • 成功三 / 空の樽が富を呼ぶ! 大胆な発想が功を奏した豊島屋十右衛門
    • 成功四 / 江戸時代の複雑な貨幣制度と 両替商の先駆けとなった天王寺屋
    • 成功五 / 遊郭の町・吉原から生まれた 江戸の出版王 蔦屋重三郎
    • 成功六 / 近江の行商から蝦夷地開拓へ 開拓者精神で名を遺した西川家
    • 成功七 / 売薬、海産物取引から新田開発へ 江戸時代の土地集積ビジネス
    • 成功八 / 苦離を乗り越え捕鯨王へ 益富又左衛門の不屈の出世物語


この中から、「成功五 / 蔦屋重三郎」をピックアップします。

◆ 『江戸商い解剖図鑑』成功五 / 江戸の出版王 蔦屋重三郎
サンプル画像出典:Amazon


 NHK2025年大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」が昨年の12月末まで放映されてたので、まだ記憶に新しいですね。

大河ドラマの主人公にもなった蔦屋重三郎、通称・蔦重(つたじゅう)は、現在で言うならば「出版プロデューサー」として活躍した、江戸出版界を代表する風雲児です。

その蔦重が活躍したのは、第8代将軍・徳川吉宗の後の時代となります。第9代将軍・徳川家重と第10代将軍・徳川家治に仕えた、田沼意次(たぬまおきつぐ)が幕政を主導していました。

◆ 大河ドラマ館で再現された「耕書堂」
(東京都台東区花川戸)

蔦重は生まれ育った吉原(江戸で唯一の公認遊郭)にて、貸本屋から出版業に参入します。その後「吉原細見(よしわらさいけん)」と呼ばれる古びた案内パンフレットを、「改め」版(最新情報を網羅するガイドブックに進化させた)を出版して成功を収めます。

そして、洒落本(遊里の粋な会話劇)や黄表紙(風刺たっぷりの絵物語)などへ仕事の幅を広げ、大ヒットを連発。

また、プロデューサーとして歌麿(うたまろ)の「大首絵(表情をクローズアップする斬新な構図)」を確立させ、正体不明の新人・写楽(しゃらく)を電撃的にデビューさせるなど、二人の異才を世に放つことで浮世絵の歴史を塗り替えました。

蔦重は知恵や才覚を駆使した、優れたビジネスパーソンだったのです。



 江戸時代に限らず、日本の商業史で最も傑出した商人といえば、やはり三井家ではないでしょうか。『江戸商い解剖図鑑』の 2章(成功一から八)の噺には入っていませんが、ここで三井家のエピソードを加えたいと思います。

◆ 復元された「三井越後屋江戸本店」 (墨田区横網)
◆ 復元された「三井越後屋江戸本店」
(東京都墨田区横網)

先ずは、前述の井原西鶴が『日本永代蔵』で、「大商人の手本」と称えた箇所を見てみましょう。

◆ 井原西鶴も大絶賛した革新者

『これはまたうまい商いの道はあればあるものである。三井九郎右衛門という男は、手持金の威力で、昔の慶長小判とゆかりのある駿河町という所に、間口九間、奥行四十間に棟の高い長屋造りの新店を出し、すべて現金売りで掛値なしということに定めて四十人余りの利口な手代を自由にあやつり、一人に一種類の品物を担当させた。

(中略)そんなふうであるから、家業が繁昌し、毎日金子百五十両平均の商売をしたという。世の調法(重宝)とはこの店のことだ。この店の主人を見るに、目鼻手足があって、ほかの人と変わったところもないが、ただ家業のやり方にかけては人とは違って賢かった。大商人の手本であろう。』


出典:『新版 日本永代蔵 現代語訳付き』角川ソフィア文庫(巻一の四「昔は掛算今は当座銀」より)


この文中の「三井九郎右衛門」のモデルになっているのが、三井家の元祖である三井高利となります。

三井家の名跡である「三井八郎右衛門」の初代は、三井高利の長男・高平(『町人考見録』の話者)なのですが、実在のエピソードを基にフィクションとして色々と織り交ぜているのでしょう。(「慶長小判とゆかりのある駿河町~」というくだりは事実で、現在の日本銀行本店さんの一帯が「金座(きんざ)」となります)


三井越後屋の代名詞的なキャッチフレーズと言えば「現金掛け値なし」ですね。当時の呉服販売は適正価格が分かりづらく、知識が無ければ買い難い商品でした。

と言うのも、富裕層であった大名や武士階級の屋敷まで商品を持参して、その都度交渉して値段を決めていたのが慣習だったからです。しかも、支払いは盆暮の二節季払いだったので、呉服販売は「屋敷売り」や「掛売り」と呼ばれていました。

値切られるのが前提で、金利や支払いリスクを勘案すると、どうしても呉服の値段は高くなって(掛け値)適正価格は不透明になってしまいます。


ところが三井高利(九郎右衛門のモデル)は、この常識(業界的な慣習)を真っ向から覆しました。「正札販売(しょうふだはんばい)」によって、人口が急激に伸びた江戸にて新しい顧客層を開拓したのです。


「大商人の手本」と称された三井家も、やはり知恵や才覚によってその繁栄を築き上げました。



 … では「知恵や才覚」の乏しい人は、貧しさから抜け出せないのか?と言う疑問が浮かび上がります。井原西鶴は『日本永代蔵(巻三の一「煎じやう常とはかはる問薬」)』にて、妙薬「長者丸(ちょうじゃがん)」の処方を伝授しました。

  • 「長者丸」の処方箋 / 比率
    • 早起き 5両 / 10%
    • 家業 20両 / 40%
    • 夜業(夜なべ) 8両 / 16%
    • 倹約(始末)10両 / 20%
    • 達者(健康)7両 / 14%

この当時の「両」は、金貨と重さの単位で使われているので、上方らしい粋(すい)な表現となっていますね。これを調合して朝晩飲んだら、長者にならない事は無いだろう!と言う訳です。

そして、この「長者丸」をよく効かせるために、「毒断(どくだち)」という16項目の前提条件を明らかにしました。

  • 「毒立ち」16項目を整理
    • A. 個人的な贅沢・美食・好色
      • 1. 美食と好色と、絹物を不断着にすること
      • 2. 女房を乗り物にのせて贅沢をさせ、娘に琴・歌がるたをせること
      • 12. (一部) 食事のときの飲酒・煙草好き
    • B. 家族・子どもの遊芸・教育
      • 3. 息子に鼓や太鼓など種々の遊芸を習わせること
    • C. 文雅・武芸・道楽の耽溺
      • 4. 蹴鞠・楊弓・香会・連歌・俳諧に耽る事
      • 5. 座敷普請・茶の湯道楽
      • 8. 町人に無用な居合・剣術
      • 14.(一部) 金で刀の目貫を装飾してひけらかすこと
    • D. 遊興・社交・無駄な外出
      • 6. 花見・舟遊び・昼風呂入り
      • 7. 夜歩き・博奕・碁・双六
      • 12.(一部) 目的のない京上り
      • 15. 役者に見知られ、揚屋と近づきになること
    • E. 信仰・社交・事業の無駄遣い
      • 9. 寺社参拝・後世の安楽を願う心
      • 10. 諸事の仲裁と保証の判をおすこと
      • 11. 新田開発の出願と鉱山事業にかかわること
      • 13. 勧進相撲の資本主になること・奉加帳の世話役
    • F. 金融・見栄の危険行為
      • 14.(一部) 家業のほかの小細工
      • 16. 月八厘より高い利息の借金


井原西鶴は、これらを「斑猫(はんみょう)・砒霜石(ひそうせき)より恐ろしい毒と心得」よと警告し、なんと「口に出して言うことはもちろん、心にも思ってはいけない」とまで戒めています。笑 

まぁ逆にこれらが、当時の没落パターンだったとも言えそうですよね。


 ちなみに、『日本永代蔵』(1688年刊行)の6年後に、同じ上方から『商売往来(しょうばいおうらい)』(1694年刊行)という商いに必要な語彙や心得を記した、寺子屋向けテキスト書が刊行されています。

◆明治時代の絵入り小本版『商売往来』
(筆者所有物)

この『商売往来』は発売当初から数十年は全然売れなかったそうで、徐々にその有用性が評価され、江戸時代後期には爆発的に売れた往来本(寺子屋向けテキスト)となりました。

『商売往来』はただの字習いや語彙のテキストではありませんよ。最後の段では、商人としての大事な戒めも記しています。


… 実はこの『商売往来』の戒めと、『日本永代蔵』の毒断には、遊興・贅沢・無駄な稽古・浪費などを厳しく禁じるという明確な共通項があります。

この時期は元禄バブルがピークを迎え、豪商の派手な消費や破産が目立ち始めた頃でした。そんなタイミングで「自制」の教えが広がっていったと捉えられるでしょう。

商人たちが時代の空気を肌で感じ取り、自ら戒めを強めていたのかもしれませんね。

没落する商人(藤屋 etc…)とその論理

 元禄期から享保期へ時代が変化すると、「成功」と「没落」も意味合いの変化が生じます。最も大きい原因は、前述の第8代将軍・徳川吉宗による「享保の改革」と言えるでしょう。

その関係性を整理して、下記の比較表に落とし込みました。

要素元禄期(1680年代〜)享保期(1720年代〜)
代表的な書物『日本永代蔵(1688年)』『町人考見録(1730年頃)』
成功の論理知恵や才覚(イノベーション)による致富+ 組織・家法(ガバナンス)による存続
没落の論理個人的要因(奢侈・遊蕩などで家業や本分を疎かにする)+ 構造的要因(政治リスク・大名貸し)
戒め才覚・始末・算用守成・分限(長者丸などへの回帰)
◆ 商人の「成功」と「没落」の変遷 (元禄期 vs 享保期)


この「享保の改革」で、新たに商人たちが苦しめられたのが、前述の「相対済し令」です。当初は利子がついての返済で儲かった「大名貸し」でしたが、金銭の貸し借りは当事者間の話し合い(相対)で解決させよとのお達しで、特に旗本・御家人への貸付の回収が困難になりました。


『町人考見録』では、こうした武士(特に大名)への貸付の危険性について、下記のように警告しています。

◆ 「大名貸し」の罠

「大名貸しの金銀は約束のとおりうまく取引できると、なにかとこの上もなく好都合なのである。人手はいらず、帳面一冊、天秤(てんびん)一挺でことは済み、まさしく寝ていて金をもうけるということになる。

古言に、「一得一失」とあるように、そんなうまいことには後で大変なしっぺ返しがあるものである。大名貸しに限ったことではないがよく考えるべきことである。」


出典:『町人考見録 原本現代語訳』教育社(上「二村寿安(04)」より)

「この上もなく好都合」で「寝ていて金をもうける」と、まるでリスクゼロのように見えた大名貸しでした。しかし、後で大きなしっぺ返しが来るぞ!と、釘を刺したのです。


… 先ほどの表で示したように、商人の戒めの軸は、元禄期の『才覚・始末・算用』から『+ 守成・分限(長者丸などへの回帰)』へと移りました。

(※この「守成」は『町人考見録』には直接出てきません。後世の解釈でよく用いられる言葉で、中国の貞観政要の故事「創業は易く守成は難し」からとなります。「分限」は身の程を知って、家業に励むという意。)



 それでは、江戸時代に没落した商人を見て行きましょう。『江戸商い解剖図鑑』では、11のしくじり・没落噺が収められています。

  • 3章 江戸の豪商たちのしくじり噺(破産一から十一)
    • 破産一 / 袋屋常皓・弟与左衛門(02
    • 破産二 / 両替善六(07
    • 破産三 / 玉屋忠兵衛(29
    • 破産四 / 石河自安(01
    • 破産五 / 三井六右衛門(25
    • 破産六 / 那波屋九郎左衛門(17
    • 破産七 / 銀座(47
    • 破産八 / 片木勘兵衛(40
    • 破産九 / 藤屋市兵衛(34
    • 破産十 / 薩摩屋新兵衛(37
    • 破産十一 / 菱屋十右衛門(45

実は『町人考見録』の「現代語訳版」が、なんと国会図書館デジタルコレクションで公開されています!

京都を中心に有力大商人約50家の没落について書かれたものなので、末尾にある()数字の箇所に「現代語訳版」リンクを付けておきました。

ぜひ本書の『江戸商い解剖図鑑』と一緒にお楽しみくださいませ~

… ではでは、この中からは「破産九 / 藤屋市兵衛(34)」をピックアップして見てみます。

◆ 『江戸商い解剖図鑑』破産九 / 藤屋市兵衛(34)
サンプル画像出典:Amazon

この藤屋市兵衛は三代目にあたるのですが、初代の市兵衛はなんと『日本永代蔵』の巻二の一「世界の借屋大将」で描かれるほどの成功者でありました。

◆ 初代・藤屋市兵衛:倹約好きの利口者

「この藤市は利口者で、自分一代のうちに、これほどの金持になったのである。」

「この男は生まれつきのけちなのではない。処世の万事のやり方で、人の模範ともなろうという願いのことであり、これほどの身代になるまで、年の暮になっても家で餅をついたことがなかった。」


出典:『新版 日本永代蔵 現代語訳付き』角川ソフィア文庫(巻二の一「世界の借屋大将」より)


実はこの初代・藤屋市兵衛はかなりクセの強い人物で、家持ちではなく借家住まいの町人たちの中で「広い世界にならびない金持は自分だ」と自慢しています。笑 一流の家持ちには及ばないことを理解していたため、井原西鶴に「世界の借屋大将」とユーモアを交えて描かれました。

その頃は千貫目の財産だったそうですが、『町人考見録』では「一生のうちに二千貫目の資産家」となっています。長崎へ通って貿易品の商売をしていたそうですね。


… 当時の商家は「親苦・子楽・孫乞食」 「売り家と唐様で書く三代目」と定番の没落パターンを揶揄されましたが、そのお手本のような没落を見せたのが、この三代目・藤屋市兵衛となります。

◆ 三代目・藤屋市兵衛:身持ちが悪く家を潰す

「三代目の今の市兵衛になると、身持ちが悪く贅沢者であったため次第に出費が多くなり、先祖のように堅実に商品をたくわえ置くのはかえって手ぬるい利殖法だと考え、

その上、年間の収支勘定が合わなくなるほどに家政上の出費がかさむにつれ、にわかに大名貸しに手をつけ、

引くに引かれず動きがとれなくなって、のちには他から借金までしたが、それも返済できず、十四、五年前に完全につぶれた。」


出典:『町人考見録 原本現代語訳』教育社(中「藤屋市兵衛(34)」より)


『町人考見録』では、初代の「元祖の市兵衛は商人の模範」と位置付けながら、対比として「三代目の市兵衛はその子孫の悪い手本」と明確に線引きをしています。

それもそのはずで、元禄期の典型的な没落パターンである「奢侈・遊蕩などで家業や本分を疎かにする」に加えて、享保期の構造的リスク「大名貸し」まで手を出してしまったため、家を潰した典型例だったからですね。

しかも、「親苦・子楽・孫乞食」の見本とも言えるケースでもあり、『江戸商い解剖図鑑』のしくじり・没落噺のなかでも、特に象徴的な一例かと思います。

【まとめ:成功と没落】「和泉にかくれなき商人」と称された豪商のその後は…

 最後に、三井家と並ぶ豪商であった淀屋と鴻池の両家のその後を見ておきましょう。

この両家は『日本永代蔵(巻一の三「浪風静かに神通丸」)』の中で、「和泉にかくれなき商人(江戸時代の大坂で知らない人はいない商人)」と列挙された14の商家にその名が見受けられます。


 先ずは淀屋から見て行きましょう。大阪の土佐堀川にかかる淀屋橋に、史跡として記念碑「淀屋の碑」が残され、その栄枯盛衰の様子が記されています。

◆ 淀屋の栄枯盛衰

『淀屋は江戸時代前期の大坂を代表する最大の豪商であつた

 淀屋の豪富と闕所のことはあまりに有名である』


出典:「淀屋の碑(淀屋屋敷跡)」の冒頭部分より


その淀屋(初代・常庵(じょうあん))は特権商人として、江戸時代前期に「三代市場(堂島の米市場, 天満の青物市場, 雑喉場の魚市場)」を開き、中之島の開発も請け負いました。そして米市に集まる商人のために、土佐堀川にかけたのが淀屋橋というわけですね。

かつての大坂が「天下の台所」と呼ばれたのは、この淀屋の功績によるところが大きいと言えるでしょう。

まさに「江戸時代前期の大坂を代表する最大の豪商であつた」のです。

◆ 「淀屋の碑(淀屋屋敷跡)」
(大阪府大阪市中央区北浜)

… ところが、先ほどの「淀屋の碑」の冒頭部分で「闕所(けっしょ)」とありましたよね。これは財産没収を意味する江戸時代の重い刑罰で、町人にとってはお家断絶レベルの処分です。

その淀屋の没落については、『町人考見録』でも詳しく言及されています。

◆ 淀屋の没落について

『また、大阪の町人淀屋古庵(正しくは个庵)という者がいた。代々その地に住み、家名は高く、自宅の前の橋を世間では淀屋橋といった。数十足所の家屋敷をもつ資産家であった。

親の古庵が死んだ後、その子辰五郎が幼年から家督を継ぎ、次第に成長するにつれて早くも京都・大阪の遊蕩の風にそまり、遊里に入りびたって夜も昼も遊び興じた。』


出典:『町人考見録 原本現代語訳』教育社(下「跋」より)

定番の没落パターンとして「親苦・子楽・孫乞食」がありましたが、淀屋もまたそのパターンを踏襲してしまいました。


『町人考見録』によると、淀屋の二代目・个庵(こあん)が、放蕩な性質の辰五郎(実際には五代目で、三井高平が教訓的に親子のような関係として話した?)を気にかけ、手代の半七をつけて諫めさせてはいたとあります。


闕所の理由として、表向きは「町人の分限を超えた贅沢」が「奢侈禁止令(しゃたきんしれい)」に触れたようですが、実際は大名への巨額貸付け(現在の価値で約100兆円とも)が幕府の警戒を招いたと言われています。

「天下の台所」を象徴する豪商の中の豪商でしたが、結局はわずか一代で家を潰してしまったのです。

 では次に、鴻池を見てみましょう。淀屋と同じく「和泉にかくれなき商人」として名を連ねていますが、なんと 「大商人の手本」とされた三井家が認める(あるいは並び称される)ほどの存在でありました。

◆ 「大商人の手本」が認めた豪商

『ところで、今、両替屋の中で、家も栄え経営も順調なのは大阪の鴻池善右衛門である。

最近、大名貸しをした者が次々と将棋倒しのようにつぶれていったけれども、この鴻池だけは順調でますます財産をふやしつづけた。

これはひとえに若いころから家業に専心し、身をつつしんだためであり、また、孝行のおかげで富を得たのであって、これこそ天道が眼前に示現したということである。』


出典:『町人考見録 原本現代語訳』教育社(下「両替屋(50)」より)


鴻池はかつて「東の三井、西の鴻池」とまで称されたほどの豪商です。初代・善右衛門正成は現在の兵庫県伊丹市で酒造業を始め、大坂に出て清酒の江戸送りや海運業で財を成しました。

その後、三代目・善右衛門宗利が酒造や海運から退き、両替商と大名貸しでさらに大きな財を築きます。大名貸しは100家以上に及び、その影響力はなんと「鴻善ひとたび怒れば天下の諸侯色を失う」と言われたほどです。

さらに蓄えた資産を旧大和川付け替え工事(新田開発)に投資するなど、収益基盤を広げながら安定した商いを続けました。

◆ 保存された史跡 「鴻池新田会所跡」
(大阪府東大阪市鴻池元町)

そして『町人考見録』で「若いころから家業に専心し、身をつつしんだため」と言及されたように、大名貸しという大きなリスクを乗り切ることができたのは、日頃から堅実に家業へ専念していたためでしょう。

正にこの点こそ、鴻池家が没落した他の豪商(淀屋や藤屋など)との決定的な差異であったと考えられます。


 ここまで、『江戸商い解剖図鑑』を通じて、江戸時代を代表する商人たちの「成功と没落」を見てきました。元禄期から享保期にかけて、第8代将軍・徳川吉宗による「享保の改革」が打ち出されたことで、世相がガラッと一変したいましたね。

以下にその変遷を再掲します。

要素元禄期(1680年代〜)享保期(1720年代〜)
代表的な書物『日本永代蔵(1688年)』『町人考見録(1730年頃)』
成功の論理知恵や才覚(イノベーション)による致富+ 組織・家法(ガバナンス)による存続
没落の論理個人的要因(奢侈・遊蕩などで家業や本分を疎かにする)+ 構造的要因(政治リスク・大名貸し)
戒め才覚・始末・算用 守成・分限(長者丸などへの回帰)
◆ 【再掲】商人の「成功」と「没落」の変遷 (元禄期 vs 享保期)

元禄期から享保期にかけて「成功と没落」も意味合いも大きく変わりました。『日本永代蔵』的な「知恵や才覚」に加えて、『町人考見録』的な「+ 守成・分限」が不可欠になったのです。

… あと私が興味深く思ったのは、『日本永代蔵』で「知恵や才覚」の乏しい人向けに処方した「長者丸(+ 毒断)」のエッセンスが、実は享保期以降の「+ 守成・分限」のベースとなっていた点でありました。井原西鶴の教えが、江戸商人の普遍的な教訓として受け継がれたように思います。



 没落については、元禄期では「奢侈・遊蕩などで家業や本分を疎かにする」、いわゆる個人的要因がその典型でした。

享保期以降は、それに加えて「大名貸しの焦げ付き」や「相対済令による回収不能」といった構造的・政治的リスクが加わり、没落のパターンがより複雑で深刻になったのです。


こうした「成功と没落」の変遷を踏まえて、今回の記事では5件の例をピックアップしてみました。

  • 記事で紹介した「成功と没落」例
    • 〇 成功:蔦屋重三郎
    • 〇 成功:三井八郎右衛門
    • ✖ 没落:藤屋市兵衛(三代目)
    • ✖ 没落:淀屋辰五郎(五代目)
    • 〇 成功:鴻池善右衛門

NHK2025年大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」では、蔦重の突出した「知恵や才覚」による華々しい成功が描かれました。

一方で、江戸時代の豪商として「東の三井、西の鴻池」と並び称された両家は、「才覚や才覚」だけでなく「+ 守成・分限」の精神を持ち合わせたからこそ、時代を超えて繁栄を続けられたのでしょう。

◆ 企画展「三井高利と越後屋」で展示された『町人考見録』
(東京都中央区日本橋室町)


『町人考見録』の巻末に記された「跋(ばつ)」には、その秘訣としての強い戒めが記されていました。

◆ 三井家の戒め

『絶対に家業以外のことに心を使ってはならない。町人が武士のまねをしたり、神・儒・仏の道は、たとえそれらが魂を守護するものであっても、それに深く入り込んだりすると、かえって家を亡ぼすことになるのである。

ましてそのほかの遊芸はいうまでもない。ほんの少しの間も忘れてならないのは家業と心得るべきである。』

出典:『町人考見録 原本現代語訳』教育社(下「跋」より)


こうした戒めこそが、三井家が江戸時代を通じて、現代まで商業の第一線で繁栄を保てた最大の理由のように思われます。




… 私の今回の記事では触れませんでしたが、『江戸商い解剖図鑑』には商人の「成功と没落」以外にも、暮らしぶりといった視点まで、ホント多角的に描かれています。

まさに良書だと思いますので、興味を持った方はぜひ手に取ってみてくださいませ。江戸商人の栄枯盛衰から、現代のビジネスや人生にも通じる教訓が見つけられますよ。

そして、三井家の歴史にさらに深く触れたい方には、こちらの公式リンク(三井のあゆみ | 公益財団法人 三井文庫)先か書籍もおすすめです。

ここまで長々とお読みいただき、本当にありがとうございました!また次回の記事でお会いしましょう。