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このカテゴリー(②売り手(日本の商道徳))も、今回の記事で一段落となりそうです。以前の記事でも述べましたが、日本の戦前・戦後の商業を正しい方向に導いたのが、雑誌「商業界」と倉本長治となります。
今回の記事は、その『商業界精神』を私なりに掘り下げて、色々と考察してみたいと思います。
『商業界精神』の萌芽
伝統的な「日本の商道徳観」の系譜上にあるのが『商業界精神』です。この視点から見ると、敗戦後のヤミ市で不正に利益をむさぼる者たちを、とても同じ商人とは見なせませんでした。
最初のこの章では、雑誌「商業界」の成り立ちと、対比される戦後のヤミ商人について見ていきましょう。
倉本長治と雑誌「商業界」について
倉本長治(くらもとちょうじ)は、明治32年(1899年)、現在の港区芝に生まれました。実家は元禄からの老舗和菓子店を営み、次男として育ちます。

(出典:商業界)
その後若くして父母を失い、叔父が住んでいた仙台から旧制中学に進学しています。第一次大戦で好景気のさなか、旧制中学を卒業後19歳で海運会社に就職し、英語圏である香港に渡りました。
しかし、激務がたたり2年で退職後には、東京商工会議所の調査課で、外国から来る書類や雑誌を読んでは商工業に関するレポートを発表する仕事に従事しています。
この頃に、雑誌社へ寄稿するようになり、小売店に関する執筆を始めることになります。第二次大戦中は、短期間ながら新興財閥系の出版部門で編集長を務めました。しかし、この経歴がGHQによる公職追放処分につながり、敗戦後は要職に就くことが禁じられました。

(筆者所有物)
しかし幸運なことに、GHQからは政治と関係ない寄稿がかろうじて許されます。それならばと、倉本長治を支援する仲間が、雑誌を創刊しようと集まりました。そのような経緯を経て、昭和23年(1948年)10月に創刊されたのが、雑誌「商業界」です。
創刊号には、社長に就任した蜂谷經一による「創刊のことば」が掲載されました。(これはもちろん倉本長治が執筆したものと、後に判明しています。)
◆ 雑誌「商業界」創刊のことば
『とても駄目だと思つた日本の商業界も、型だけは一應整つた。ヤミ物資のヤミ賣買に始まつた敗戦日本の商業界も、もうその本道に立ち戻らねばならない時が來た。
商業の本道とわ何か。一言で云えば公衆のためのサービスであるということになる。正しい商品なり施設なりを明るい方法で、公衆に満足のいくように提供する商業こそ万人の希望するところでなければならぬ。
由來、わが國でわ、商賣というと、何となく他人の犠牲に於いて金を儲ける仕事のように誤解している向きが多いが、商業の利益が、淸い正しい、公衆の喜びによつて與えられた報酬であるような時代を一日も早く招來したいのが私達の念願である。(以下省略)』
出典:雑誌「商業界」1948年10月号
倉本長治は、表向きは外部からの寄稿という形で、雑誌「商業界」に関わりました。上記の創刊のことばで述べているように「日本の商業を本道に立ち戻す」という強い使命感があったのです。
公職追放という身になり、倉本長治は敗戦後の日本の商業の実情を把握するため、各地を視察しました。そして、不誠実なヤミ商売(上記で言う「他人の犠牲に於いて金を儲ける仕事」)が蔓延する状況を目の当たりにし、「商人である前に、よき人間であれ」という境地にたどり着きます。
対比される「戦後のヤミ市」「悪徳商法」
次に『商業界精神』と対比する存在として、戦後のヤミ市に目を向けてみましょう。1945年8月の敗戦後、日本は深刻な物資不足に見舞われ、社会は大混乱に陥ります。その混乱の中で、多くの露天商が集まる「ヤミ市」が、各地に自然発生しました。
国の配給制度も機能不全に陥り、人々が求める食糧や物資は圧倒的に不足したため、多数の餓死者も出ています。そのため、非合法ながらヤミ物資による取引、いわゆるヤミ売買が活況を呈することになりました。その状況は、東京において同年9月の毎日新聞朝刊に「光は新宿マーケットより」という広告が出稿されたことからも窺えます。
もちろん、ヤミ市には「青空市場」のような側面もありましたが、その本質は英語で言うところの「ブラックマーケット」です。そこは法や秩序が及ばない無法地帯もあり、悪質な商売が横行する温床となっていたことは否定できません。
横行した悪徳商法として、粗悪品や偽物の販売、法外な価格設定(ぼったくり)、相手を見て値を変える、買い占めや売り惜しみなどが挙げられます。そうしたヤミ市の元締めとして、テキ屋系のやくざ組織が、その存在を誇示していました。
… これこそが、倉本長治が深く憂慮した、敗戦後の日本の商業でした。ヤミ物資を不正に売りさばき、利益をむさぼるヤミ売買。それに対し、倉本長治は反対の立場から、その闇を打ち払う光を放とうとしたはずです。
それが、前述した「創刊のことば」に込められ、後述する『商業界精神』の礎として現れています。
※ 参考資料(東京ニュースNo100 「東京のあゆみ あれから13年」)
上記の YouTube動画は、当時のイメージを補足する資料です。現在の感覚で敗戦後の様子は、なかなかイメージし難くもあります。こちらは1959年(昭和34年)制作の東京都の広報動画で、日本の敗戦から13年後までの様子が記録されています。(倍速などを利用しながら、前半9分あたりまでの視聴が特におススメです。)
理念:『商業界精神(店は客のためにある)』とは?

かつて、東京タワー下にあった「商業界会館ビル(2023年解体)」に、一枚の石製プレートが掲げられていました。

(港区麻布台にあった「商業界会館ビル」より)
そこには、倉本長治の独特の筆致で「店は客のためにある」という言葉が刻まれており、『商業界精神』を象徴するフレーズとして広く知られています。
この章では、前述の「雑誌「商業界」創刊のことば」に端を発し、『商業界精神』にまで確立されていく様子を見て行きましょう。
雑誌「商業界」での初出(1949年12月号)から
記録によると、「店は客のためにある」という言葉が初めて雑誌「商業界」の誌面に登場するのは、1949年12月号(国会図書館調べ)のことです。
(雑誌の創刊が1948年10月であることを考えると、意外と間が空いているんだな~と少し驚きでした)
その1949年12月号では、「販売術の要点」と題した8ページにわたる特集記事が組まれています。記事は、1. 接客の機会を選ぶ、2. 接客前の待機の心得、3. 何からお見せするか、4. 説明の仕方に順序あり、5. 客の反対意見の取扱ひ、6. 店よりもお客のため、という6つの段落で構成されています。
この構成を詳しく見てみると、5段落目までが具体的な販売術について、最後の6段落目に販売の心構えについて述べられていることが分かります。
実は「店は客のためにある」という言葉自体は1段落目にも登場するものの、その精神が色濃く語られているのは、やはり最後の6段落目と言えるでしょう。
さてさて、誌面でレタリング装飾された「販売術の要点」というタイトル下には、次の4つの注釈があります。
◆ 特集「販売術の要点」のタイトル注釈
『★ こゝに述べるのは店頭に於けるセールスマンシツプである。
★ スポーツにスポーツマンシツプがあるように、セールスにはセールスマンシツプがあるのである。
★ これはどこまでもお客様本位出なければならぬ。
★ こゝに示すものは其要領であり急所であるといえる。』
出典:雑誌『商業界』1949年12月号(特集「販賣術の要點」より)
3つ目に「お客様本位」という言葉が見えますね。1段落目から5段落目までは、お客が店内に入る時点から、具体的な例えを用いながらの販売術解説です。
そして最後の段落である、6段落目「店よりもお客のため」は、以下のような書き出しで始まります。
◆ 6段落目「店よりもお客のため(冒頭)」
『商店というものは、店のためにあるのではなく、お客のためにあるのである。このことは店頭に立つ人のすべてが、心から信じなければいけない事柄の第一である。近視眼的に眺めると一品でも多く客に物を賣るということが、店のためのように思えるけども、不満足な買物をお客にさせたり、明日値の下がることが判つているのに、今日買いに來たからとて、今日黙つて賣るということなどは、決してお客のためではない。お客の喜ばない買物は永つゞきはしない。
繰り返していうことだが、商賣繁昌とは一人の客が何遍も、一つ店を訪問して買物を繰り返してくれることに外ならないのである。
従ってお客の爲を計ることこそ、お店のためなのである。』
出典:雑誌『商業界』1949年12月号(特集「販賣術の要點」より)
この冒頭にて、雑誌「商業界」上で初めて「店は客のためにある」という理念が語られました。日本の商業史においても、特筆すべき瞬間と言えるはずです。お客の喜ばない買い物は永続きしない、何回も買ってくれるのが「商売繁盛」なんだと喝破していますね。
… さてこの後も、具体的な例えを用いた販売術の解説が続きます。ここでは割愛し 6段落目「店よりもお客のため」の結びを見ていきましょう。
◆ 6段落目「店よりもお客のため(結び)」
『これが現代のセールスマンシツプなのであり、お客の懐にあるだけの金を今日使わせることの出來る店員が必ずしも優秀という譯ではない。
販賣員の使命というものは、お客の買物についての最良の相談相手になることであり、どこまでも親切であり誠實でありたいものと思う。(中略)
その境地を築くものが、販賣店であり、店主である。その原動力となるものが、現代のセールスマンシツプなのである。お客の爲とは公衆一般の爲という言葉になる。公衆一般の爲というのは、今日の民主主義に通ずるのである。
こゝに商賣の大道があり、販賣術の要領、その精神は、たゞ、そこにのみあるといつてよかろう。』
出典:雑誌『商業界』1949年12月号(特集「販賣術の要點」より)
結びにて「お客のためとは、公衆一般のため」とまとめられています。ん?あれれ?この一文、どこかで見た事ありませんか?
『商業界精神(店は客のためにある)』の本質
… そうです、これは前述の「創刊のことば」における「商業の本道とは何か。一言で言えば公衆のためのサービスである」という一節と呼応してますね。その後に続く「正しい商品なり施設なりを明るい方法で、公衆に満足のいくように提供する商業」こそが、その本道を示すものと言えるでしょう。
そして、販売術の要点の最後に「ここに商売の大道(本道)があり」という言葉で結ばれます。以上のようにして、「店は客のためにある」は『商業界精神』として確立された、と私は考えます。

(出典:商業界)
『商業界精神(店は客のためにある)』の補足として、倉本長治の数ある論説でも注目の「新商人道の建設」からも、一部参照しましょう。
1950年11月、当時51歳の倉本長治はGHQによる追放が解除され、ただちに商業界の主幹と社長に就任します。翌年の1月号の巻頭では、さっそく気負いに満ちた論説が掲載されました。
◆ 「新商人道の建設」より(一部を抜粋)
『金儲けのために商店經營している人が多いけれど、小賣店などは、決して金儲けにはならぬものである。金儲けを志す人は、株の賣買とか、商品の先高を見越して買いためるとか、そういう仕事をやつたらよろしい。
安いものを買いためて、高い値で賣り放つ仕事は、モウ小賣商店のする仕事ではない。安いものは安く、高いものも出來るだけ格安に、社會の人々の利益が少しでも多くなるように心掛ける者でないと、これからの商人とはいえないのである。(中略)
こういう店でないと、社會一般が、その店を愛好し利用しないからである。大衆がその店で買つてくれる事が多ければ多いだけ、その店主の得る報酬はフエルのであり、次第に利益は加わり、金儲けも出來よう。これは目的ではなく結果なのである。
社會に對する商店のサービスの報酬である。』
出典:雑誌「商業界」1951年1月号
赤線部分の「安いものを買いためて、高い値で売り放つ仕事」という表現は、もちろん悪徳商法を指しています。この手の輩を助長させると、江戸時代から「すめ買しめ売の類いは天下の毒蛇」とまで忌み嫌われた悪徳商法のまん延につながります。
このような商いは、創刊のことばでも「商売というと、他人の犠牲において金を儲ける仕事のように誤解」という一節にて、既に指摘されています。
… 実は江戸時代の前から、商人はこのようなイメージで忌み嫌われてきました。しかし、この状況に異を唱えたのが、江戸時代中期の思想家・石田梅岩です。石田梅岩は「商人の利益を肯定(商人の存在そのものが否定されていた時代下で)」して、「日本の商人道」を確立した偉人として知られています。

(JR亀岡駅内)
前の記事でも詳しく述べましたが、倉本長治は石田梅岩の思想に深く共鳴していました。その影響からか、倉本長治は創刊のことばでも「商業の利益が清い正しい、公衆の喜びによって与えられた報酬」となる時代の到来を切望していました。
まさしくこれこそが、上記の「社会に対する商店のサービスの報酬」に他なりません。
戦後のヤミ市で蔓延した悪徳商法と、『商業界精神(店は客のためにある)』を対比させてきました。その両極端な思想がより際立ちましたね。突然ですが、ここでちょっと余興タイムとなります。この理念を逆転させてみると、一体どうなるか?という試みです。
- 逆・商業界精神(案)
- 「客は店のためにある」
… やってみたら、なかなか面白い試みになりました。笑 この記事の最後の最後になりますが、このような試みも用いて、倉本長治が憂いた悪徳商法の世界観を浮き彫りにしてみます。
繁昌のメカニズム… 「善い商人」は繁昌しなければならない
ここまでで『商業界精神(店は客のためにある)』は、商業の本道であり「公衆のためのサービス」が本質だと見てきました。本道とは「正しい商品なり施設なりを明るい方法で、公衆に満足のいくように提供する商業」を意味します。
そうして得られる商業の利益こそが「清い正しい、公衆の喜びによって与えられた報酬」となるのです。
… ここで、ひとつの疑問が浮かび上がります。この『商業界精神(店は客のためにある)』を掲げることでどのようにして、その「社会に対する商店のサービスの報酬」は増えるのだろうか?ということです。
(もちろん、お金儲けが目的ではなく、あくまで結果だと承知の上です。)
そんな私の疑問を解消してくれたのが、商業界刊行の書籍「商人と人生」(1957年, 国会図書館デジタルコレクション)です。雑誌「商業界」の黎明期である1956年7月~1957年3月にかけて連載された、世界の聖典や聖人に関する特別連載をまとめたものとなります。この書籍では、9人の聖人(クリスト, パウロ, 孔子, 孟子, 釈迦, 孫子, ソクラテス, 日蓮, 親鸞)について、倉本長治が深く考察しています。
本書は、倉本長治が聖人たちの生き方や言葉を引用しながら「商人である前に、よき人間であれ」と、日本の商人に啓蒙した一冊となります。
※ この書籍はデジタル公開されているので、利用者登録をするとご自分のデジタル端末でご覧いただけますよ(この機会にご登録をおススメします)。
さて、目次を見ていただくと、冒頭(商人と人生, よき商人への途)の項目が並んでいます。書籍化するにあたり、改めて書かれたこの冒頭部分に、商人としての在り方や報酬に関するヒントが散りばめられていたのです。
以下では、これらの項目から特に重要な箇所を4点抜粋し、「社会に対する商店のサービスの報酬」はいかにして増えるのか? 善い商人は、なぜ儲けなければならないか? などを通じて、
善い商人は、なぜ客のためにあらねばならないか? という、その核心に迫りたいと思います。
◆ 倉本長治が戒めた商売観(1/4)
『人間として一番いやしいこと、商人として最も不道徳なことはなことは何かというに、「他人の無智や不幸や災難につけ込んで自分の欲望を達する行為である」と私はいつも思っている。
他人の無智や不幸や災難につけ込んで金を儲けることは、一番やさしい。悪党であればあるほど、出来ることなのである。
終戦後のヤミ成金というのは、大概、その部類に属した人々であった。』
出典:『商人と人生』商業界(「商人と人生」P.18-19より)
最初に紹介するのは、倉本長治が強く戒めた商売観です。この考え方は、他の著書(「日本商人史考」「真商人譜」など)でも見られ、ヤミ商売に対する一貫した批判精神がうかがえます。
◆ 極論:善い商人の店は繁昌しなくても良い(2/4)
『商業界の標語の一つに「善悪は損得に優先する」というのがあるが、消費者のために店を経営する商人が、ただ「善い商人」であれば、お店は繁昌しなくてもよいのか、そのために商人が幸福な人間でなくとも良しいものかというに、
極論すると、商人である以上、必ず善い商人でなければいけないが、店は繁昌など、しなくとも良いといえるのである。』
出典:『商人と人生』商業界(「よき商人への途」P.27より)
後述する『商売十訓』の最初の訓にもある「善悪」「損得」という、キーワードが出てきましたね。この二つの価値観の対立は、倉本長治の思想を理解する上で非常に重要なポイントです。
そして、この考えを極限まで突き詰めると、なんと!「善い商人の店は繁昌しなくても良い」という逆説的な結論に至りました。
… ここで「え?儲からないの?」って思った方は、要注意ですよ。逆・商業界精神「客は店のためにある」に陥ってます。笑 前述の「新商人道の建設」でも「もう小売店なんか儲からないヨ」と、自分の生活のために商売している(世のためにならない)商人に、退場を促していました。まだまだモノ不足の時代だったにもかかわらずです。
でも、ご安心くださいませ。この続きを読めば、その真意をご理解いただけます。
◆ 繁昌のメカニズム(3/4)
『諸君の店は大いに繁昌し、売上を殖やし、利益を挙げることが出来るのである。イヤ、必ず繁昌し、沢山の人々からモノが喜んで買われるようにならなければいけないのである。
何故なら、世の中の人々が、あなたの店を必要としているからである。多くの人がソレを必要とする意味は、あなたの店の繁昌、売上増加、大成功、ということが社会的意義があり、世の中のために役立つということに外ならぬ。
世間がこれを望んでいる。どうして繁昌せぬワケがあろう。』
出典:『商人と人生』商業界(「商人と人生」P.14より)
『商業界精神(店は客のためにある)』の理念では、後述する「善悪は損得に優先する」という考え方がベースにあります。つまり、何よりも先ず「お客のためになる店」が「善」であり、その結果として利益という「得」がもたらされるのです。
そして「善い商人」であるからこそ、「世の中のために役立つ」という社会的意義が生まれ、その結果「世間から望まれる店として繁昌!」という当然の帰結に至ります。
※ この考え方は、儒教による「先義後利(せんぎこうり)」と一致します。前述の書籍「商人と人生」内でも3ヶ所(国会図書館OLの検索結果)、くり返し言及されているので本書もご覧くださいませ。
◆ 善い商人はモット売れ(4/4)
『心をこめて親切な愛情の深い商いを行う商人は、よしんばお客が一日三人しか無いような店でも、ソレは立派な「善い商人」である。
(中略)善いことが消極的であるよりは、ソレが善いことと決まった以上は、モット、拡大され、積極的になされる方が更らに善いことだとするのである。
さゝやかな商店が、いつまでも、さゝやかな所謂零細商人であるというのは、右の意味においてムシロ罪悪とあるとさえ思えるのである。』
出典:『商人と人生』商業界(「よき商人への途」P.35より)
つまり「世の中のために役立つ」という社会的意義を帯びているなら、進んでモット多くの人に売るのがモット「善い商人」だ(でなければ、むしろ罪悪とも)と、倉本長治は説いたのです。もちろん、ただ多く売れば良しとしたわけでは、決してありませんでした。
こうして『商業界精神(店は客のためにある)』を理念に掲げるお店は、「繁昌、売上増加、大成功」という好循環のスパイラルに乗り、「社会に対する商店のサービスの報酬」が増えていくのです。

倉本長治と雑誌「商業界」は、戦後の日本商人を「商人である前に、よき人間であれ」と奮い立たせました。そして、聖人たちの生き方や言葉を引用しながら、『商業界精神(店は客のためにある)』の確立に至ります。
その活動は、着実に実を結び、商業界は見事な発展をとげます。1966年には全国の商人からの善意と浄財によって、東京タワー下に「商業界会館ビル」が竣工(から解体までの詳細はこちら)されました。翌年である1967年には「商人の心の書(全六巻)」と、「日本商人史考」が相次いで刊行されています。
この頃を境に、倉本長治の視点は普遍的な「聖人(前者)」の教えから、日本独自の「商人道(後者)」へ、移行していった時期と考えられるでしょう。
盟友(新保民八, 岡田徹) のことば
倉本長治と共に、黎明期の雑誌「商業界」や商業界ゼミナールをけん引した、二人の名物講師がいました。その情熱的な語り口は、後に「怒りの新保、泣きの岡田」と称されるほどでした。
次にその盟友たちの言葉を見て行きましょう。
盟友・新保民八(しんぽたみはち)は花王石鹸(当時)の常務取締役を務めるかたわら、雑誌「商業界」の設立にも深く関わった人物です。

(画像出典:商業界)
前述の「商業界会館ビル」には、一枚物の大きな欅板の額に、新保民八の絶叫歌「正しきによりて滅ぶる店あるならば 滅びてもよし断じてほろびず」が、金色文字で力強く刻まれていました。
盟友・岡田徹(おかだとおる)は、戦前から倉本長治と共に商業雑誌の編集に携わっていた人物です。しかし、戦後はしばらくしてから、雑誌「商業界」に参画することになります。

(画像出典:商業界)
商業界会館ビルには、代表作「小さな店であることを 恥じることはないよ その 小さなあなたの店に 人の心の美しさを 一杯に満たそうよ」の詩が、壁に刻まれていました。
岡田徹の功績について欠かすことのできないのが、不滅の名文「日専連信条(にっせんれんしんじょう)」です。日専連とは「協同組合連合会日本専門店会連盟」の略称で、そのルーツは戦前の専門店会運動にまで遡ります。
この運動は「正しい商人の道」を追求する革新的なもので、戦後に発刊された雑誌「商業界」でも大きなスペースを割いて報じられました。
1955年に札幌市で開催された第十回日専連全国大会では、「真の商道を実現する」という高らかな宣言が発表されます。この宣言こそが、岡田徹により起草された「日専連信条」なのです。この信条は、日専連の関係者のみならず、「正しい商人」を目指す全ての人に向けられたメッセージでありました。
◆ 日専連信条(1955年)
『小売商人は消費者の身近かに居て、職能としての深い知識と、親しい隣人としての誠実さで、消費者の経済をしっかりと守り、その日常生活をより豊かにして、暮らしよい明るい社会をつくることが与えられた使命である。その故にこの職業が消費者のために在るものであり、社会的に意義のあることを自覚し、我れ小売商人なりの誇りと喜びとに生涯をかけて悔いない。商店は、この職業の真価が発揮されて、小売商人が在ることの意義が広く消費者に認められる場である。同時に、「お客様」と愛称される消費者が、商品とその代価との取引を超えて、小売商人の美しい誠実さと深い思いやりとに心打たれ、友情の交換が行われる「信頼の場」である。
消費者が求めるものは、良品正価の保証と買い物の愉しさである。小売商人が消費者に信頼されるのは、この保証と、愉しいお買い物の中に流れているまごころのゆえである。従って、無駄のない経費とつつましやかな生活とで、消費者の負担をでき得る限り軽くするよう努めることが、正しい報酬と永遠の繁盛をもたらす唯一の道である。
日専連は小売業を国民経済の上に重要な職能であると確信し、小売商人としての人格をみがき、たゆまざる精進と親類附合による結合のもとに、経営の近代化をはかり協同の活動を推進し、奉仕の理想である真商道を実現せんとする組織である。』
出典:「日専連四十年のあゆみ」日本専門店会連盟編
この信条には、倉本長治らが追い求めてきたエッセンスが凝縮されています。それは前述の『商業界精神(店は客のためにある)』と深く通じた商業観です。「日本の商人道」という観点から見ても、正統な流れを汲むものと言えるでしょう。
… この頃は、現在では常識の「正札(正価)販売」などは、まだまだ浸透していません。値札もつけずに、適当な言い値の商いが蔓延していました。そんな「良品正価の保証と買い物の愉しさ」からはほど遠かった時代に、日専連は高らかに「真商道」を宣言したのです。
規範:『商売十訓(商業界ゼミナール誓詞)』とは?

倉本長治や雑誌「商業界」の思想において、前述の『商業界精神(店は客のためにある)』は、まさに羅針盤のような理念でありました。これから述べる『商売十訓(しょうばいじっくん)』は、その理念を実践するための、行動規範と位置付けられます。

(港区麻布台にあった「商業界会館ビル」より)
『商売十訓』の最初に掲げられているのは、「損得」と「善悪」の対比です。先ほど参照した1957年の書籍「商人と人生」の中にも、「「善悪は損得に優先する」は商業界の標語の一つ」という記述が見られます。こちらも、倉本長治の思想を体現した言葉であり、「ゼミナールの誓い」「商人十訓」として以前から大切に用いられてきました。
1961年1月号に掲載・第27回商業界ゼミナールで発表された「商業界ゼミナール誓詞」をコンパクトに改変したものが、この『商売十訓』となります。その後、1967年(創刊20周年記念号)の改変を経て、現在の十項目×十四文字という形式に整えられました。
真商人譜:第一講「利益は商人の道徳的権利」
1966年に「商業界会館ビル」が竣工した際、倉本長治は新事務所で最初の執筆となるエッセイを発表(1966年5月号, 6月号)します。誇り高き「現代商人の殿堂」の完成を祝い、新たな時代の真の商人像を考察したのが、「真商人譜(しんしょうにんふ)」です。
この記念すべきエッセイの中で、倉本長治は『商売十訓』の各項目を詳細に解説しています。
※ 第一講の副題に掲げられた「利益は商人の道徳的権利」という言葉は、前述した石田梅岩の著書『都鄙問答(とひもんどう)』から引用されたものです。
一、 損得より先きに善悪を考えよう

「商売は損得を離れることは出来ないが、これからは善悪をこれに優先せしめよう」
(「商業界ゼミナール誓詞」版)
これまで倉本長治の『商業界精神』を詳しく見てきたので、この章では『商売十訓』を一訓ごとにシンプルに紹介していきます。各項目について、最初に『商売十訓』と、その元となった「商業界ゼミナール誓詞」を併記します。
次に示す引用は、各訓に対応する箇所として、前述のエッセイ「真商人譜」から抜粋したものです。
◆ 損得より善悪を
『商人も人間である。人間が他の動物と異なるところは善悪を解えるからである。商人は、犬や猫とは違う。儲かることより善の道を往こう。
であればこそ、如何に商人といえども、事の善し悪しを損得に優先して考えようではないかと謂うのである。』
出典:雑誌『商業界』1966年5月号(エッセイ「真商人譜 第一講」より)
最後に『商業界精神』でも試みたように、『商売十訓』についても逆(案)として、考察を加えます。それぞれ単純に逆にしたものではありません。これまでの文脈を加味して、各訓を検討してみました。
- 逆・商売十訓(案)
- 一、損得こそ全てで善悪は関係ない
… 余計な説明はここまでとなります。以降にて、各訓のことばの変遷や、倉本長治の考察などをご覧ください。
二、 創意を尊びつつ良い事は真似ろ

「商売に創意工夫を尊重し、なお善いことは研究のうえ大いに真似る進取性を持とう」
(「商業界ゼミナール誓詞」版)
◆ 創意か模倣か
『人真似は良くないとされて居るが、真似て他人の迷惑にならず、自分のため店のため、又は周囲のため、社会のために善いことであるなら、進んで他人の創意や工夫を真似しよう。他人の知恵や工夫を盗むのではなく拝借せよ。
(中略)何もかも真似るのはタダだと思ってはいけないのは勿論だ。だが、人の親切な営業ぶりを見たら感謝して、その親切さを真似るという風でありたいではないか。』
出典:雑誌『商業界』1966年5月号(エッセイ「真商人譜 第一講」より)
- 逆・商売十訓(案)
- 二、他人の知恵を盗み手軽に儲けろ
三、 お客に有利な商いを毎日続けよ

「お客に喜びや利益を与える営みが商人の正業と知って、これを素直に実践しよう」
(「商業界ゼミナール誓詞」版)
◆ お客に儲けさせよ
『月に一回とか週に一回とか、特別の安売りを行うお店もある。(中略)それがお客のために良いことであるとしたら、毎日それを実行したら尚よいと思うが、どうか。
勿論、商売を行う以上、お客にもお店に利益がなければならない。商売は儲けるのが目的ではないけれども、利益の伴わない商売は嘘の商売である。タッタ一日でもウソの商売はいけない。』
出典:雑誌『商業界』1966年5月号(エッセイ「真商人譜 第一講」より)
- 逆・商売十訓(案)
- 三、目先の商いで欺き今日をしのげ
四、 愛と真実で適正利潤を確保せよ

「博い愛情、隠すところのない真実と懸命な精進とで必要な最低利潤を確保しよう」
(「商業界ゼミナール誓詞」版)
◆ 真実と愛情と
『愛される店というものは、店がお客を愛して始めて生まれる。(中略)そういう関係が成り立つと、お客さまもお店が適当に利益を挙げなければいけないのだと云う事を考えてくれるし、お店もこれが適正だという利益以上を取ることを遠慮しなければならなくなる。
お互いに信じ合い、愛情を持って、役に立ちたいという時、商売というものは実に美しい存在となるのである。』
出典:雑誌『商業界』1966年5月号(エッセイ「真商人譜 第一講」より)
- 逆・商売十訓(案)
- 四、嘘と悪徳で欲のまま利を貪れ
五、 欠損は社会の為にも不善と悟れ

「欠損は社会に対する悲しむべき罪と悟り利益はお客と共に分かち合う喜びと知ろう」
(「商業界ゼミナール誓詞」版)
◆ 社会と店の損益
『お店を経営して欠損することは、店主にとっても、お店に働く人の間にも、取引先にも迷惑、お客にモット有利なお買物や、より便利なお買物をして頂く新しい途を開くことも不可能なので、
欠損は商店をして、常に進歩し改善せられて行かねばならぬ社会の歩みに立遅れを招き、人々の幸福な生活に貢献することを不能にするから、大変な不道徳である。』
出典:雑誌『商業界』1966年5月号(エッセイ「真商人譜 第一講」より)
- 逆・商売十訓(案)
- 五、欠損は店の都合だから仕方ない
真商人譜:第二講「商人賛歌」
先でも述べたように「真商人譜」は1966年5月号, 6月号に雑誌『商業界』に掲載されたエッセイです。1945年の敗戦から約20年、1948年の雑誌『商業界』創刊を経て、日本もあの敗戦後の荒廃から経済復興への道を歩み始めていました。
1956年の経済白書に記された「もはや戦後ではない」という言葉は、人々に希望を与え、後の流行語にまでなりました。そして1960年代、日本の経済はさらなる成長を遂げ、高度経済成長期へと突入していきます。
「商業界館ビル」が竣工し、「真商人譜」が書かれたのは、まさにそのような時代下でありました。新たな時代の幕開けを予感させる中、倉本長治はこのエッセイを通して、商人の新たな役割を指し示そうとしたのです。
それでは、後半の第二講「商人賛歌」を見て行きましょう。
六、 お互いに知恵と力を合せて働け

「商売の革新と繁栄のために、同友は互いに力を合せ、知恵や知識を借り合おう」
(「商業界ゼミナール誓詞」版)
◆ 知恵と力の動員
『(承前)その人々の知識や智恵や技倆や努力や誠実さを大いに動員し、時計の機械のように精密に、店を動かす必要がある。
そういうことに堪えられる商人、それが出来る人、とても不向きな商売人と、人間には色々あるのだから、「お互いに智恵と力を合せて経営に当る」といっても、人おのおの自分相応の分に応じた行き方がある。そのことを忘れてはいけない。』
出典:雑誌『商業界』1966年6月号(エッセイ「真商人譜 第二講」より)
- 逆・商売十訓(案)
- 六、互いを信用せず我先に出し抜け
七、 店の発展を社会の幸福と信ぜよ

「人間の幸福を果てしなく追求して、商売の発展に永遠の希望を抱きつゞけよう」
(「商業界ゼミナール誓詞」版)
◆ 店の発展は社会の幸福
『誰しも大商人と呼ばれるようになりたいだろう。だが、それが、それだけ世間の役に立つのでないといけない。
(中略)これ以上の発展も困難でない、十分可能だという時、社会もそれを期待しているという際、始めて、店を拡げるとか、他の地域に進出することは、それが社会的貢献の拡大である限り、信念と勇気のある商人の義務であり責任でもあると云える。』
出典:雑誌『商業界』1966年6月号(エッセイ「真商人譜 第二講」より)
- 逆・商売十訓(案)
- 七、何より優先すべきは自店の都合
八、 公正で公平な社会的活動を行え

「社会に貢献する仕事の担い手として、いつも公正で公平な商売をしよう」
(「商業界ゼミナール誓詞」版)
◆ 公正で公平な営業
『小売商店というものは、社会全体を相手に商売を行うのであるから、一番大切なことは公衆に対して常に誤りを犯さず、正しい営業をしているということでなくてはならぬ。それはどのお客様の味方であるいう意味ともなる。
お客さまの味方であればよいのかというと、それだけでは足りないだろう。(中略)どのお客さまにも公平であるという点も、広く信頼を受ける所以だからである。』
出典:雑誌『商業界』1966年6月号(エッセイ「真商人譜 第二講」より)
- 逆・商売十訓(案)
- 八、身内か否かで値や態度を変えろ
九、 文化のために経営を合理化せよ

「商売が文化を促進するという信念の下に常に経営合理化の責任を自覚しよう」
(「商業界ゼミナール誓詞」版)
◆ 合理化も文化のため
『商店そのものでも、社会のすべてと共に、毎日向上して行くのが本当だ。あなたのお店のみがこれだけ儲かっているから良いとか、この程度のお客様の支持があれば充分だということは許されないとおもう。
よしんば客数が殖えなくとも、売上は増加しなくとも、店内の清掃が行届くとか、商品の陳列が向上するとか、その他お店に働く人々の一人当りの売上が上昇するとか、一人当りの利益が増大するとか、或いは手持商品の総金額に対する収益率が改善されるとかいう経営上の合理化も亦、
社会的文化の向上に間接ながら繋がっておると謂えよう。』
出典:雑誌『商業界』1966年6月号(エッセイ「真商人譜 第二講」より)
- 逆・商売十訓(案)
- 九、楽に儲からない理想は無価値だ
十、 正しく生きる商人に誇りを持て

「真商道とは、人間の正しさに尽きることと深く認識し、われらは誇り高く生きよう」
(「商業界ゼミナール誓詞」版)
◆ 商人であることの誇り
『商人は、儲けねばならぬものだが、儲けるのが目的ではない。人間がメシを喰わねばならぬが、喰うために生きているのではない。正しい商売は社会の人々の幸福に繋がり、利益を挙げねばならぬが、利益を挙げるのが目的ではない。その真の商道を歩むのが正しい商人である。
(中略)天地神明に恥ない正しさで、お客さまの日々の幸福にお役に立ち、一緒に働く人々にも生甲斐を与えるということは何と立派な行いではあるまいか。
ここに「われよくぞ商人に生まれけり」という誇りが持てる。』
出典:雑誌『商業界』1966年6月号(エッセイ「真商人譜 第二講」より)
- 逆・商売十訓(案)
- 十、弱みに付け込むのが商いと悟れ
まとめ(『商業界精神』と「恕(じょ)」の碑)
今回の記事にて、日本の商業に多大な影響を与えた倉本長治の『商業界精神』を、私なりに深く掘り下げてきました。最後に、その理念(店は客のためにある)と規範(商売十訓)を、もう一度ふり返ります。
『商業界精神』をふり返る
戦後の荒廃したヤミ市を見て、倉本長治は深く憂慮しました。それは不正にヤミ物資を売りさばき、利益をむさぼるヤミ売買の横行です。他人の無智や不幸や災難につけ込む、そんな当時の商いをひと言で表現すると次のようになるでしょう。
- 逆・商業界精神(案)
- 「客は店のためにある」
この言葉は現在の感覚から見て、何となくビジネスライクだし、合理的だと思うかもしれませんよね。しかし都合よく解釈すれば、粗悪な商品を不正な方法で売りさばく事も、正当化されてしまいます。そして、このような態度が横行すると、次のような悪徳商法が生じます。
- 逆・商売十訓(案)
- 一、損得こそ全てで善悪は関係ない
- 二、他人の知恵を盗み手軽に儲けろ
- 三、目先の商いで欺き今日をしのげ
- 四、欺瞞と悪徳で欲のまま利を貪れ
- 五、欠損は店の都合だから仕方ない
- 六、互いを信用せず我先に出し抜け
- 七、何より優先すべきは自店の都合
- 八、身内か否かで値や態度を変えろ
- 九、楽に儲からない理想は無価値だ
- 十、弱みに付け込むのが商いと悟れ
戦後、実際にこのような不誠実な商売が横行していました。倉本長治はそんな状況を目の当たりにして、「商人である前に、よき人間であれ」という境地にたどり着いたのです。1948年には、仲間(もちろん、当時の第一線級の方々)と共に雑誌「商業界」を刊行し、創刊のことばで高らかに「日本の商業を本道に立ち戻す」と宣言がされました。
原点とも言えるその理念は、次の言葉に集約されます。
- 真・商業界精神
- 「店は客のためにある」
『商業界精神(店は客のためにある)』とは、商業の本道であり「公衆のためのサービス」が本質です。本道とは「正しい商品なり施設なりを明るい方法で、公衆に満足のいくように提供する商業」を意味します。
そうして得られる商業の利益こそが「清い正しい、公衆の喜びによって与えられた報酬」となるのです。
… そして後に、浄財による「商業界館ビル」が1966年に竣工され、理念を実践する規範として『商売十訓』が成立しました。
- 真・商売十訓
- 一、 損得より先きに善悪を考えよう
- 二、 創意を尊びつつ良い事は真似ろ
- 三、 お客に有利な商いを毎日続けよ
- 四、 愛と真実で適正利潤を確保せよ
- 五、 欠損は社会の為にも不善と悟れ
- 六、 お互いに知恵と力を合せて働け
- 七、 店の発展を社会の幸福と信ぜよ
- 八、 公正で公平な社会的活動を行え
- 九、 文化のために経営を合理化せよ
- 十、 正しく生きる商人に誇りを持て
倉本家墓所にある「恕(じょ)」の碑
前に参照した、商業界刊行の書籍「商人と人生」(1957年)は、世界の聖典や聖人に関する特別連載をまとめたものでした。
その中には、日本でも馴染み深い「孔子(こうし)」と「孟子(もうし)」も含まれています。古代中国の思想家・孔子の思想は、弟子たちによって「論語(ろんご)」としてまとめられ、後に「儒教(じゅきょう)」として体系化されました。
孟子は、孔子の思想に独自の解釈を加え、発展させた人物です。儒教においては「聖人」孔子に次ぐ者として、孟子は「亜聖(あせい)」と称されています。二人の連綿とした思想は「孔孟の教え」と言われ、儒教の中心をなしています。

(箱根町湯本の早雲寺内)
箱根湯本の早雲寺内にある倉本家墓所のそばに、「恕(じょ)」と刻まれた石碑が静かに佇んでいます。普段あまり聞き慣れないこの言葉は、前述の「論語」からの一字で、儒教においても特筆すべき概念です。
この「恕」こそが、生前の倉本長治が大事にしていた言葉となります。それでは、「恕」とはどんな意味なのか、実際に「論語」からの一節を見てみましょう。
◆「恕(じょ)」の一節
○ 書下し文
『子貢(しこう)問うて曰く、
一言にして以て終身これを行うべき者ありや。
子の曰わく、其れ恕か。
己の欲せざる所、人に施すこと勿れ。』
○ 訳文
『子貢がおたずねしていった、
「ひとことだけで一生おこなっていけるということがありましょうか。」
先生はいわれた、「まあ恕(じょ:思いやり)だね。
自分の望まないことは人にしむけないことだ。」』
出典:『論語 金谷治訳注』岩波文庫(衛霊公第十五の二十四 / 15-24 より)
弟子の子貢(しこう)が、孔子に質問して教えを乞うシーンが描かれていますね。上記のやり取りにあるように、「恕」とは「思いやり」を意味する言葉です。その本質として「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」と続きますが、こちらも「論語」の思想を象徴する一節と言えるでしょう。
実はこれとよく似た考え方は、キリスト教の「新訳聖書(New Testament)」にも「黄金律(Golden Rule)」として記されています。倉本長治は、特定の宗教の信仰はしていませんでしたが、東洋西洋を問わず聖人のことばに耳を傾け、日本の商人を正しい方向に導きました。
… 戦後は不正な商売がまかり通っていた、まさに闇の時代でありました。その闇を打ち払うべく、日本の商業に希望の光を照らしたのが、この倉本長治の『商業界精神』だったのです。