いよいよ新しい紙幣の流通が、2024年上期にはじまりますね。新一万円札の肖像は、明治の偉人・渋沢栄一です。

新一万円札(渋沢栄一の肖像)
新一万円券(表)のイメージ
画像出典:財務省

渋沢栄一は、大正12年(1923年)に『道徳経済合一説(どうとくけいざいごういつせつ)』を発表しました。思想の集大成とも言える講演で、最晩年(84歳時)の肉声をレコードに残しています。

んん?大正12年(1923年)と言う事は ……
なんと!2024年でちょうど100周年を迎えるのです。偶然の一致とはいえ、新一万円札が流通するタイミングと重なりました。

そんな奇跡的なタイミングも重なりましたので、今後はさらに注目度が高まるであろう『道徳経済合一説』について、まとめたいと思います。

偉人「渋沢栄一」と二つの講演録(『道徳経済合一説』『論語と算盤』)

 渋沢栄一は、これまで明治時代の偉人として、一定の知名度はありました。しかし、一般的にはそこまで知られていなかった… というのが実情だったかと思います。

2019年に新一万円札の肖像としての採用が決まりました。そして2021年にはNHK大河ドラマ『青天を衝け』の放送もあり、その知名度は飛躍的に高まりました。

もうご存知かもしれませんが、少しだけ偉人「渋沢栄一」について触れておきます。

偉人「渋沢栄一」について

 渋沢栄一は、天保11年(1840年)に現在の埼玉県深谷市血洗島に生まれました。裕福な半農半商の家で長男として育ち、6歳ごろから教育熱心な父や従兄(尾高純忠)に『論語』などの学問の手ほどきを受けています。

渋沢栄一の肖像(深谷市所蔵)
渋沢栄一の肖像
(画像出典:深谷市所蔵)

その後は、何度もの転身(半農半商の身から尊王攘夷の志士, 一橋家の家臣, 明治政府の官僚, 実業家, 慈善家)を繰り返しました。大河ドラマの主人公にふさわしい、激動の人生です。

第一国立銀行をはじめ、指導的立場で約480社の企業の設立・発展に貢献したことから、「日本資本主義の父」「実業界の父」などと称されています。


晩年は、実業家時代から携わる社会公共事業の育成(600以上の慈善事業にも関わる)や、対日感情が悪化したアメリカとの民間外交に、その身を砕きました。

昭和6年(1931年)11月、渋沢栄一は91歳でその激動の生涯を終えています。お墓は台東区の谷中霊園内(お墓参りの過去記事)にあり、渋沢栄一を慕う方々の訪問は後を絶ちません。

『道徳経済合一説』とは?(音源やテキストの入手先も)

 冒頭でも触れていますが、『道徳経済合一説』とは渋沢栄一の最晩年(84歳時)の講演です。こちらは、帝国発明協会が大正時代の名士の音声を残そうと企画されたもので、音源はレコードとして残されました。

渋沢栄一の『道徳経済合一説』収録のCDジャケット
『道徳経済合一説』収録のCDジャケット
※クリックで渋沢史料館オンラインショップへ

もちろん、現在の私たちでも、その講演を聞くことができます。

デジタル技術によって雑音を軽減したCDが、北区王子の渋沢史料館(又はオンラインショップ)で購入可能です。

北区王子の「渋沢史料館」(2020年11月リニューアルオープン)
北区王子の「渋沢史料館」
(撮影:2020年11月のリニューアル時)

また、埼玉県深谷市の渋沢栄一記念館でも、2階の展示コーナーにて音声の試聴(自動音声)が可能です。こちらには、レコードの現物やテキスト全文も展示されています。

埼玉県深谷市の「渋沢栄一記念館」(2023年5月撮影)
埼玉県深谷市の「渋沢栄一記念館」
(撮影:2023年5月)

同所での「渋沢栄一アンドロイド」による、『道徳経済合一説』の講義(約20分程度?)もおススメです。詳しくは後述しますが、現代風にアレンジされているので、楽しみながら理解できますよ。

注:混同されがちな『論語と算盤』との違い

 渋沢栄一の代名詞として、『論語と算盤(ろんごとそろばん)』がよく知られています。

実はこちらも、渋沢栄一の講演録集です。編集者が晩年の講演を十章のテーマ別にまとめたもの(『論語と算盤』の過去記事)として、書籍化されています。

  • 『論語と算盤(ろんごとそろばん)』/ 大正5年(1916年)
  • 『道徳経済合一説(どうとくけいざいごういつせつ)』/ 大正12年(1923年)

時系列にすると一目瞭然ですが、晩年の講演録から最晩年へと繋がっていきます。『道徳経済合一説』は、思想の集大成と言っても良さそうですね。

本題『道徳経済合一説』について

「道徳経済合一説」を講義する渋沢栄一アンドロイド(深谷市の渋沢栄一記念館にて)
「道徳経済合一説」を講義する渋沢栄一アンドロイド
(深谷市の渋沢栄一記念館にて)

 それでは、実際に『道徳経済合一説』の中身を見ていきましょう。音源を復刻したCDを確認すると、約12分(11分39秒)の収録でした。当たり前ですけど、書籍『論語と算盤』と比べても、情報量はコンパクトなのが伺えます。

録音に使われたテキスト原稿は、デジタル版『渋沢栄一伝記資料』第46巻にて公開されています。また、北区王子「渋沢史料館」さんの2020年11月リニューアル時にも、音源のテキスト原稿(読み仮名付き)が配布されていたので、今回はこちらを参照しました。

※もちろん、前述したCDに付属のライナーノーツにもテキスト全文は掲載されています。こちらは当時の難解な言い回しを、現代風に修正して読みやすいものです。今回の記事では、録音で読み上げた原稿であろう「渋沢史料館の配布資料」を優先したいと思います。

渋沢栄一アンドロイドによる『道徳経済合一説(現代風アレンジ)』

 先ほど埼玉県深谷市「渋沢栄一記念館」の、「渋沢栄一アンドロイドに」よる講義を紹介しました。こちらの講義は、『道徳経済合一説』を現代風に理解しやすくアレンジしたものです。幸いにもテキストが、深谷市HPにて全文公開されているので、ぜひ一読をおススメします。


… ただ、一つ注意点があります。こちらのアンドロイド講義ver. は、現代風アレンジが加えられて理解しやすいのですが、元の講演原稿を省略している部分が多々ある事を留意しておきましょう。

A.渋沢史料館B.該当部分割合
第1段落437字209字47.83%
第2段落512字123字24.02%
第3段落396字193字48.74%
第4段落733字733字100.00%
合計2078字1258字60.54%
『道徳経済合一説』のテキスト比較 / 表
(A.渋沢史料館の配布資料と B.アンドロイド講義の該当部分)


こちらの表は、A.渋沢史料館の配布資料から、B.アンドロイドの講義部分の割合を算出してみたものです。あくまで目安なのですが、現代風アレンジは「元の講演の約60%ほど」って捉えておきましょう。


 段落分けの根拠としては、当時の録音背景を考慮しました。CDを聞いた際に約3分ほどでブツっと録音環境が切り替わる音が入っていたので、どうやら約12分(11分39秒)を3分前後×4ラウンドに分けて録音していた事が推察されます。

録音当時の渋沢栄一は84歳を迎えていました。もしかすると、体力面を考慮したかも?しれませんね。

【追記1】手持ちの A.渋沢史料館の配布資料に、B.アンドロイドの講義部分に黄色い線を引いてみました。

◆ 『道徳経済合一説』のテキスト比較 / 画像
(A.渋沢史料館の配布資料と B.アンドロイド講義の該当部分)
※クリックで拡大

このようにして見ると、省略部分が分かりやすいですね。※()付きの番号は段落です

【追記2】いつの間にか「ディスカバリーシート(5種)」の配布が再開!されていました。上記の『道徳経済合一説』を含めた5種のシートを、北区王子「渋沢史料館」内で探してみましょう。

※お目当ての『道徳経済合一説』のシートは、青淵文庫内のこちらの動画の最後にヒントがありますよ。(他のシート4種は係の方に聞いてみてください)


第1段落「後の学者は、誤解して論じた」

 それでは『道徳経済合一説』の詳細を見ていきましょう。アンドロイド講義(現代風アレンジ)の第1段落は、およそ半分ほど省略されています。

A.渋沢史料館B.該当部分割合
第1段落437字209字47.83%
『道徳経済合一説』のテキスト比較 / 表
(A.渋沢史料館の配布資料と B.アンドロイド講義の該当部分)


先ずは、あいさつ代わりの前口上と、第1段落までを続けて紹介します。

◆ 『道徳経済合一説』の前口上


 当発明協会のご高配によって, 私が平生主義としておるところの「道徳経済合一」の説を, これより申し述べようと思います。

出典:肉声で聞く渋沢栄一の思想と行動(CD付属のライナーノーツより)

◆ 『道徳経済合一説(現代風アレンジ)』の第1段落

 「仁義道徳」と「生産殖利」つまり、「道徳」と「経済」とは、共に両立して進むべきものでございます。にもかかわらず、多くの人は儲けに走り道徳心を忘れてしまう傾向にありますので、昔の偉人は、このことを人に教える際に、道徳を説き、お金儲けを戒めることに専念いたしました。

ところが、後の学者はこれを誤解して、お金儲けと道徳は対立するものとし「仁則不富。富則不仁。(仁すなわち富ならず。富すなわち仁ならず。)」と考え「利を得れば義を失い、義に依れば利が離れる」、つまり「儲けに走れば道徳を忘れ、道徳を重視すれば利益が薄くなる」と速断してしまい、ついには「貧しいことが清く美しく、富むことは汚れることだ」などと、偏って論じられるようになってしまったのであります。

出典:渋沢栄一アンドロイド講義(深谷市HPより)

 前述の『論語と算盤』のタイトルと同じように、こちらの冒頭でも「仁義道徳」と「生産殖利」と対比を用いていますね。(論語=「仁義道徳」、算盤=「生産殖利」という図式です。)

渋沢栄一は、この『論語(ろんご)』を座右の書としていました。『論語』は中国の古典で、聖人・孔子の言行を弟子がまとめたものです。明治6年(1873年)、渋沢栄一が33歳で明治政府の官僚から実業家に転身する際にも、幼少時に習った「論語」を思い出し、以降の教訓としています。

その『論語と算盤』内でも、「後の学者」の教えが問題視されました。渋沢栄一は、孔子の『論語』と思想を受け継ぐ『孟子(もうし)』を、「孔孟の教え」として素直に読むことを推奨しています。

 「後の学者」が「仁すなわち富ならず。富すなわち仁ならず。」と言っていましたが、こちらは孔子の時代の政治家である陽虎(ようこ)の言葉かと思われます。◆引用1 / 書物『孟子』の滕文公章句上の五(5-3)に記載がありました。

この陽虎の言葉を引いて、渋沢栄一は『論語と算盤』内(第四章「仁義と富貴」の五, 4-5)で、陽虎ごときは敬服すべき人物ではないが、当時の知識人の言説としてこの説が一般的になっていたと語っています。

このまま商人や金銭を卑しむ思想(賤商観)がまかり通れば、国としても経済的な発展が見込めません。「後の学者」が植え付けた弊害(農工商の生産階級に学問は不要としたため、その階層に仁義道徳が身に付かなかった)は、かなり根深かった事が伺われます。

※『論語と算盤』内で「後の学者」は、主に儒教の一派である朱子学(江戸幕府の官学に採用)を指しています。同書の第一章「処世と信条」の五(1-5)では、「口やかましい玄関番」とまでに批判されています。この『道徳経済合一説』でも、朱子学を念頭に置いて批判しています。

第2段落「道徳に適った利益は、恥じる所でない」

 さてさて第2段落は、およそ24%とかなり省略されているようですね。簡潔な印象が残る段落です。

A.渋沢史料館B.該当部分割合
第2段落512字123字24.02%
『道徳経済合一説』のテキスト比較 / 表
(A.渋沢史料館の配布資料と B.アンドロイド講義の該当部分)

こちらは論拠として孔子の『論語』を引用しながら、「後の学者」が誤解していた点を正す段落となっています。

◆ 『道徳経済合一説(現代風アレンジ)』の第2段落

 しかし、私が尊敬する孔子の教訓には決してこのような意味はありません。孔子は道徳に反した利益は良いことではないと戒めてはおりますが、道徳にあった利益はこれを理に適うものとしています。孔子が富むことをいやしんだのは、不義の場合に限っていることであり、道徳に適った利益は、君子の行いとして恥じる所でないとしたのは明らかであります。

出典:渋沢栄一アンドロイド講義(深谷市HPより)

 この段落が多く省略されているのは、『論語』からの引用も多々あったからですね。そちらの点を補完していきましょう。

先ずは冒頭にある、孔子の教訓による根拠となります。

◆引用2 / 『論語』の述而第七の十五(7-15)、「飯疏食、飲水、曲肱而枕之、楽在其中(粗末な食事をして水を飲み、ひじを曲げて枕にする。楽しみもまたそこにあるものだ)」
が引用されています。

前半部分の「粗末な食事をして…」の箇所こそ、後の学者が理想として主張していたものです。しかし、それは解釈が悪いと渋沢栄一は指摘します。「亦(また)」の文字に、深長の意味が隠されている事に留意せねばなりません。

 さらに、孔子は「道徳にあった利益」を決して否定していません。先ほどの述而第七の十五(7-15)の続きを引用して、渋沢栄一は自説を補強します。
◆引用3 / 「不義而富、且貴、於我如浮雲(不義にして富み、かつ貴きは、我において浮き雲のごとし)」と続き、
◆引用4 / 里仁第四の五(4-5)からは「富与貴是人之所欲也、不以其道得之不処也(富や貴きとは、これ人の欲する所なり。その道をもってせずして、これを得れば処らざるなり)」と引用しています。

これらは富貴をいやしんだのではなく、不義をいましめた表現です。また、終盤では同じような表現を、なんと続けて3点も引用しています。

  • ◆引用5 / 「見利思義(利を見て義を思う)」憲問第十四の十三(14-13)
  • ◆引用6 / 「見得思義(得るを見ては義を思う)」季氏第十六の十(16-10)
  • ◆引用7 / 「見得思義(得るを見ては義を思う)」子張第十九の一(19-1)


この第2段落では『論語』から引用しながら、「後の学者」の誤解をこれでもかこれでもかと正しました。… 合計5点もの引用が、また驚かされますね。

第3段落「道徳・経済合一は、変わらない原理」

 いよいよ折り返し地点で、第3段落はおよそ約50%ほど省略されています。省略部分は、もちろん『論語』の引用と説明なので、後に補足します。

A.渋沢史料館B.該当部分割合
第3段落396字193字48.74%
『道徳経済合一説』のテキスト比較 / 表
(A.渋沢史料館の配布資料と B.アンドロイド講義の該当部分)

こちらは『道徳経済合一説』は、古今東西変わらぬ原理だと説明されています。

◆ 『道徳経済合一説(現代風アレンジ)』の第3段落

 私が聞くところによれば、経済学の祖であるイギリス人「アダム・スミス」は「グラスゴー」大学の倫理哲学教授であって、有名な「国富論」を著わして、近世経済学を起した人ですが、孔子の考えと同じであります。このため、道徳・経済合一は東西問わずの世界中に適する不変の、いつまでも変わらない原理であると、私は信じます。

また、孔子が弟子の子貢(しこう)の問に対して答えた「博く民に施して、能く衆を済う(ひろく民に施して、よく衆をすくう。)」という言葉からも、国を治める者にとって、利益を生みだす経済活動は決して疎かには出来ない事である、と私は堅く信じておるのであります。

出典:渋沢栄一アンドロイド講義(深谷市HPより)

 冒頭のアダム・スミスは、イギリス古典派経済学の租として1776年に「国富論」を著した学者です。同著の「見えざる手」といった概念も広く知られています。

スミスの著作としては他に、1759年の「道徳感情論」があります。こちらはスミスの倫理学書ということから、第1段落の冒頭で述べていた「仁義道徳」と「生産殖利」と重なりました。これらを持って、渋沢栄一は「孔子の考えと同じ」で「東西問わない不変の原理」だと述べています。

※「孔子の考えと同じ」は原文で「先聖後聖其揆(せんせいこうせいそのきを)を一にするもの」とあります。こちらは◆引用8 / 書物『孟子』離婁章句下の一(8-1)からの引用です。古代の聖人である舜(しゅん)と文王(ぶんおう)を、それぞれ先聖と後聖としたもので、「時代や場所が違っても二聖人は軌を一にする」とした意味となります。


 引用として最後にあたる◆引用9 / 「如有博施於民、而能済衆何如(もしひろく民に施して、よく衆をすくわばいかん)」は、こちらも『論語』の雍也第六の三十(6-30)から引用されました。この章句の引用は途中までになっているので、続きも紹介します。

「可謂仁乎、子曰何事於仁必也聖乎、尭舜其猶病諸(仁というべきや、子曰く何ぞ仁を事とせん、必ずや聖か、堯舜それなおこれを病む)」と続きます。… 解りにくいので、前後をつなげて意味を補足しておきます。

実は …この章句、『論語』の全512章句の中でもかなり重要なシーンなのです。渋沢栄一は、『仁(じん)』について明らかにされるこの章句をもって「論語の眼目といっても可なるほど」とも評しています

※「論語講義(二)」渋沢栄一の同章句, デジタル版「実験論語処世談」徳川家康の対儒教観より


続きを記します。

子貢(しこう)という弟子が、孔子に『仁』について尋ねます。子貢「もし広く民衆に施しができて、多くを救うならばいかがでしょうか。これは『仁』と言えるでしょうか」
弟子の問いに、孔子は「なんぞ『仁』どころであろうか。それは聖人であろう。(古代の理想的な聖人である)尭や舜でさえ、為しかねる事だ」と言われます。

渋沢栄一はこの章句の引用から、「ひろく民に施して、よく衆をすくう」というのは、今日の国を治める君主の行為だとして、それが孔子の理想とした『仁』であり『王道』につなげます。だからこそ、国を治める人は「生産殖利(経済)」をおろそかにすることが出来ないという主張です。


… 後の学者が、前述の◆引用2 / 粗末な食事をして水を飲む「貧しさは清く美しい」とした論調は偏っていたと、改めて浮き彫りになりました。

その根拠として、渋沢栄一は『論語』から8度も引用していましたよね。もちろん、その思想の中核に『仁』がありますが、先ほどの◆引用9の続きに、こんな有名な言葉が続きます。

孔子の「仁(じん)」… 最高道徳の “他人基準”



仁者は己れ立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。(仁の人は、自分が立ちたいと思えば人を立たせてやり、自分がいきつきたいと思えば人を行きつかせてやる)」

… 『道徳経済合一説』の演説において、『仁』について重要である続きの語句は述べていません。しかしながら、あえてこの章句を引用しているところが、また面白いところだと思います。

第4段落「強固なる道理は、孔子の『論語』による外はない」

 それでは、最後の第4段落となります。こちらは省略も無く、原稿の100%がアンドロイド講義ver. でも述べられています。

A.渋沢史料館B.該当部分割合
第4段落733字733字100.00%
『道徳経済合一説』のテキスト比較 / 表
(A.渋沢史料館の配布資料と B.アンドロイド講義の該当部分)

引用も長くなるので、第4段落は前半(1)と後半(2)に分けて紹介となります。前半では、国を富ますためには商工業の発展が必要だと力説します。

◆ 『道徳経済合一説(現代風アレンジ)』の第4段落(1)

 私は学問も浅く不勉強ですので、実行できることも微力でありますが、ただ、道徳と経済とは、全く合一するものであるということを確信しておりまして、私が行なう事業においてもこれを証明していけると思っております。これは決して今日になって言い出したことではありません。自分の思いが、正しい国家の隆盛を望むならば、国を富ますということに努めなければなりません。

そして、国を富ますためには科学を進め、商工業の活動も進めていかなくてはなりません。そこで、商工業を進めるためにはどうしても「合本組織」いわゆる株式会社の組織が必要であります。そして、株式会社の組織をもって会社を経営するには、完全にして強固なる道理によって行わなければなりません。そして、道理によるならば、その基準は何になるかと申しますと、これは孔子の「論語」による外はないのです。ゆえに不肖ながら私は、「論語」によって事業を経営してみようと考えまして、これまで「論語」を論ずる学者が道徳と経済とを別物にした考えは誤りであり、必ず一緒になし得られるものであると、こう心に決めて数十年間経営しましたが、大いなる過失はなかったと思うのであります。

出典:渋沢栄一アンドロイド講義(深谷市HPより)

 「完全なる強固なる道理」として、改めて『論語』なんだと強調していますね。『論語』は渋沢栄一が幼いころから触れ、座右の書とした位置づけです。

この『論語』によって事業を経営してみようとしたくだりは、『論語と算盤』にて詳細に言及されています。同書の第一章「処世と信条」の五(1-5)で、明治政府の官僚を33歳で辞する際「『論語』は最も欠点の少ない教訓であり、この教訓に従って商売をしよう」とした、当時の回想が述べられています。

… そう心に決め、約480社もの様々な事業に携わり、数十年間経営に携わった結果として「大いなる過失はなかったと思う」と結論づけられました。控えめな表現ながら、この一文に込められた意味は深いものがありますね。



 さあ、それでは最後の引用となります。第4段落の後半を見ていきましょう。

◆ 『道徳経済合一説(現代風アレンジ)』の第4段落(2)

 さて、世の中が進歩するに従って社会もますます発展してきました。しかし、それに伴って肝心な道徳仁義という考えも共に進歩してきたかというと、残念ながら「進歩していない」と答えざるを得ません。逆に大きく後退したことが無きにしもあらずといえます。このことは決して国家にとって良いことではありません。

国家は国民が富むことさえできれば、道徳が欠けても仁義が行われなくとも良い、と言う人は誰もいないと思います。そんな極論がまかり通れば、次第に社会生活の様々な事柄が上手くいかなくなってしまうと想像するのは、誰でもわかることですし、その実例は世界中に余りに多くございます。このように考えて参りますと、今日、「論語」を基本にした私の主義である「道徳経済合一説」がいつの日か広く世の中に普及し、みなさんの考えとして社会に受け入れられる様になることを大いに期待するのでございます。

出典:渋沢栄一アンドロイド講義(深谷市HPより)

第1段落でも商人や金銭を卑しむ思想(賤商観)として、「後の学者」の誤った教えを問題視していました。それに加えて、農工商の生産階級に学問は不要とまでされています。これでは商売に携わる人々に、仁義道徳が身に付かないのも、当然の帰結と言えるかもしれません。

… 言葉を変えると、いじけて卑屈になってしまうのも、何か仕方が無いような気がしてきました。儲かれば何でも良いというのは、現在でも「悪徳商法」と後ろ指をさされますよね。
赤線部の「次第に社会生活の様々な事柄が上手くいかなくなってしまう」というのも、至極当たり前な話でしょう。

 細かく見てみると、第1段落の「後の学者」が植え付けた賤商観から、第4段落の「悪徳商法」に流れるメカニズムが浮かび上がってきます。

このメカニズムの指摘は、渋沢栄一の唱える『道徳経済合一説』のかくれた重要ポイントでは無いでしょうか?




 「世の中の進歩」に多大なる貢献をしたのは、もちろん渋沢栄一もその一人として評価されています。

「日本の資本主義の発展への功績が極めて大きい」と、2019年当時の麻生副総理が選定理由を述べているように、新1万円札の肖像にふさわしい偉人だと思います。

この記事で掘り下げた『道徳経済合一説』は、現在から100年前である大正12年(1923年)の講演です。100年後になった現在ですが、渋沢栄一に「進歩した」と評価してもらえるかは分かりません。

… 分かりませんが、新一万円札に切り替わるこの機会に、再び『道徳経済合一説』が見直されることを切に願っています。

  • 第1段落「後の学者は、誤解して論じた」
  • 第2段落「道徳に適った利益は、恥じる所でない」
  • 第3段落「道徳・経済合一は、変わらない原理」
  • 第4段落「強固なる道理は、孔子の『論語』による外はない」


そして、私も『道徳経済合一説』が広く世の中に普及する事に、大いなる期待を抱いているのでございます。

手を振る渋沢栄一アンドロイド(渋沢栄一記念館, 深谷)