「日本の商道徳」における偉人について、その思想のまとめと共に、お墓参りシリーズも記してきました。今回は「昭和の石田梅岩」こと、倉本長治(くらもとちょうじ)の回となります。
この記事の目次
倉本家の墓所は箱根湯本の早雲寺内
はじめに、倉本長治の人となりや、墓所のある箱根との縁に触れておきます。
日本の敗戦後、ヤミ物資による不当な商いが横行していました。そんな荒廃しきった日本の商業を本道に戻そうと、指導的役割を果たしたのが倉本長治です。
GHQによる公職追放の身だったため、倉本長治を慕う友人たちが昭和23年(1948年)10月に雑誌「商業界」を創刊しました。昭和25年(1950年)11月、当時51歳の倉本長治は追放が解除されると、ただちに雑誌「商業界」の主幹と社長に就任します。
翌年の昭和26年(1951年)2月には、倉本長治主幹就任記念として「商店経営ゼミナール」が箱根搭の沢の一の湯で開催されました。この研究会は、後に呼称を「商業界ゼミナール」と改めます。会場を三昧荘(現在の湯本富士屋ホテル)などに移し、箱根の地は全国から集まった商人たちの研鑽の場となっていきました。
… このように倉本長治(商業界)と箱根は、深い関わりのある地でありました。
倉本長治は82歳だった昭和57年(1982年)1月29日、自宅にて亡くなります。遺骨は生前に用意(昭和40年頃に日下エルダー会長が手配)されていた、箱根湯本の早雲寺に納められ、戒名は「端雲院理法宗長居士」と授かりました。
こちらの早雲寺さんは関東における臨済宗の名刹で、小田原北条家の菩提寺とされています。特に禅寺でなければならない… というわけでもなく、「商業界ゼミナール」でこの地との縁からできた関係性からのようです。
箱根湯本駅~早雲寺へのルート(概要)
後ほど詳しく説明しますが、簡単なルート説明を先にしておきましょう。最寄りは箱根湯本駅です。
試しにGoogleマップで箱根湯本駅~早雲寺のルートを調べると、2~3の候補が出されました。最短距離で示される真ん中の「あじさい橋」経由は、まぁ止めておくのが幸いです(かなりキツイ起伏の公園内を歩かされます)。笑
上記の地図に記しましたが、早雲寺さんへは「A. 徒歩ルート」か「B. バスルート」の二択となります。
… 到着です、お疲れ様でした!
早雲寺さんの入口は数か所ありますが、こちらが正門となります。(A. B.の各ルートや倉本家墓所の位置などなど、詳細は後ほど記します。)
倉本長治が眠る「倉本家墓所」
早雲寺内の地形は、手前の正門側から奥にかけて急な斜面でせりあがっています。倉本長治が眠る「倉本家墓所」は、その高台側の斜面に位置しています。
こちらが戦後の商店経営において指導者的役割を果たした、偉人・倉本長治のお墓となります。私はこちらで手を合わせながら、一ファンとして感謝の気持ちを念じました。日本の商道徳において、昭和時代の傑出した偉人だからです。
… 加えて、「倉本家墓所」の360°画像を撮影しておきました。マウスや指で360°動かせますので、現地の雰囲気が伝わりやすいかなと思います。
倉本家墓所@早雲寺(2021.11.01) – Spherical Image – RICOH THETA
遠方でなかなか箱根湯本まで行けない方でも、ちょっとしたバーチャルお墓参り気分ですね。(左下の「THETA」をクリックすると、専用サイトで全画面などフル機能が利用できます)
上記の360°画像を眺めてもらうと、「倉本家墓」の横に石碑がある事に気が付かれたでしょうか?この石碑には、倉本長治によるあの名言が刻まれています。
◆ 「店は客のためにある」の碑
出典:早雲寺の倉本家墓所内
『店は客のためにある
この言葉を説きつづけて日本商業の指導に生涯を捧げられた商業界主幹倉本長治先生ここに眠る』
この言葉は東京タワー下の「商業界会館ビル」の玄関エントランスにも掲げられていました。たった9文字なのに、商いへの姿勢が見事に示されています。今でも色あせない名言です。
「恕(じょ)」の碑
生前の倉本長治は、「恕(じょ)」という言葉を好んでいました。この言葉は、中国の古典『論語』からの出典で、自分の望まない事を人にしない(思いやり)といった意味です。
… この言葉を刻んだ石碑が、倉本家墓所のそばにあります。
こちらも360°画像を撮影しておきました。下記からマウスや指でぐりぐりと動かしてみてください。
「恕(じょ)」の記念碑@早雲寺(2021.11.01) – Spherical Image – RICOH THETA
こちらの石碑の横には、金属製のプレートが建てられていました。「恕(じょ)の碑」の建立に際しての趣旨が書かれています。表面が風化して読めない部分もありますが、補完して転記いたします。
◆ 「恕(じょ)の碑」建立の趣意書
『(昭和)二十六年二月箱根湯本で初めて、(倉)本長治師により商業界ゼミナールが開催(され)た。師は心熱く、「店は客の為にある」(と商人)の道を説かれ 箱根の山は、あつき商人達で燃えに燃えたのである。実に、今日まで七万人を超すと言われる受講者は、地域並びに全国で、同業発展の為、献身的な活動を行い、商業発展に多大なる貢献をされたのである。その功績を称え 感謝の意と共に商業界ゼミナール同友、有志により ゼミナール五十周年記念の良き年に、この顕彰碑を建立するものである。碑文「恕」の意は、おもいやり、である。師が生涯、叫び続けてこられた、「店は客の為にある」を象徴するものです。
出典:早雲寺の倉本家墓所そば, ()内は筆者の補完
願わくば 小さな店でもいい、人の心の美しさがとこしなえ、に満ちんことを祈るものである。
2001年11月16日 発起人代表 商業界エルダー 梶谷忠司
2001年商業界ゼミナール運営委員長 西端春枝』
この360°画像は2021年11月に撮影しました。どうやら建立されて20年後の姿だったようですね。趣意書に記載されていますが、商業界ゼミナール50周年を記念したとありますね。
… 今年(2024年4月)も訪問していますが、プレート表面の風化がかなり進んでしまっていました。しんみりと物悲しくなるので、掲載は見送らせていただきます。
【①行き】「倉本家墓所」への詳細
ここまで読んでいただいた方は、倉本家墓所へお墓参りに行きたくなったはずです。先ほど概要だけお伝えした、箱根湯本駅~早雲寺さんへのルートの続きをお伝えします。
上記に、先ほどの地図を再掲しました。「A. 徒歩ルート」か「B. バスルート」の二択となりますが、基本的には「A. 徒歩ルート」をおすすめします。
「A. 徒歩ルート」は、箱根湯本駅から商店街のある方向を歩いて行くイメージです。途中から箱根ならではの地形に入り、勾配のきつい坂道があります。
再度の注意喚起ですが、Googleマップが示す「箱根湯本駅~早雲寺」のルートで真ん中の「あじさい橋」経由は、さらに勾配のきつい公園内を通るルートです。ハイキング気分は楽しめますが、箱根湯本のにぎやかな商店街や温泉街の雰囲気を味わうほうがよっぽど有意義です。
早雲寺は「あじさい橋」を渡った、この「湯本富士屋ホテル」の裏手にあたります。宿泊者の方以外の方には、ちょっとお勧めできません。
… 脚の状態が良くないなど、諸事情のある方は「B. バスルート」がありますよ。箱根湯本駅からは、先ほどの商店街の逆側に進むとバスターミナルが見えてきます。箱根登山バスの「4番乗り場」が、早雲寺さん行きとなります。
箱根湯本駅から、4つ目の「早雲公園前」で下車しましょう。
初見だと混乱しそうですが、どれに乗っても「早雲公園前」を通るのでご安心ください。日中は1時間に2本出ている時間帯も多いので、この辺りが狙い目ですね。
たまたま来た日に時刻表を撮影したら、ダイヤ改正も同日だった奇跡が起こりました。笑 とはいえ、箱根登山バスさんの公式Webページ「箱根湯本駅」のバス時刻表も、一応リンクしておきます。ダイヤ変更のタイミングなど、最新かどうかにご注意くださいませ。
【②早雲寺内】正門から「倉本家墓所」へ
「A. 徒歩ルート」「B. バスルート」でも、初めての方は早雲寺さんの正門から入りましょう。名刹と名高い禅寺だけあって、歴史ある佇まいが素晴らしいですよ。
正門から入ると本堂が目の前に現れるので、左に折れて歩く導線です。その先には墓所が一面に広がっていますが、「北条五代之墓」と案内板が出ているので右に折れていきましょう。
本堂の裏側にかけて、斜面になって高くなる地形になっています。「北条五代之墓」で左に折れると、貸し出しの手桶や水道設備が見えてきます。
この設備の真ん前に、前述の「恕(じょ)」の碑があります!「倉本家墓所」は隣接していませんが、すぐそばにあるので、ここまで来た方はもう気が付くと思いますよ。目印として、ここは覚えておくと良いですね。
※手桶やひしゃくは現地にあるのですが、お供えの生花は近隣で購入できません。「B. バスルート」側の旧東海道にあったお花屋さんは、閉店していました。通り沿いにある2件のコンビニは、生花を扱っていません。おそらく小田原駅などで購入するしか無いと思われます。
お墓参りが済んで「A. 徒歩ルート」で帰る方は、貸し出しの手桶や水道設備の脇道をまっすぐ降りるとショートカットで出れますよ。
逆に言うと、来るときも上記から入れば「恕(じょ)」の碑まで一直線となります。笑 まぁそれでは味気ないので、初めての方は早雲寺正門から入るのが良いでしょう。「北条五代之墓」や枯山水など、歴史的価値の高い名刹です。
【③帰り】「箱根湯本駅」への詳細
「A. 徒歩ルート」は登ってきた坂道をを下るだけなので、「B. バスルート」の詳細をお伝えします。帰りの「早雲公園前」バス停は、ファミリーマートさんの手前にあります。
帰りも1時間に2本出ている時間帯がありました。ホント助かりますね。
「早雲公園前」のバス時刻表も、一応リンクしておきます。ダイヤ変更のタイミングなど、最新かどうかにご注意くださいませ。
【おすすめ観光スポット】箱根町立郷土資料館、小田原で「二宮尊徳」関係も
箱根湯本まで来たならばと、箱根町立郷土資料館さんで、東海道の宿場町, 湯治場としての歴史に触れるのも良いですよ。早雲寺についての展示や、有料の頒布物も充実しています。
鉄道網など交通インフラも整備されたので、全国から商人の集まる「商業界ゼミナール」が開催できたんだな~と、展示を見ながら思いを馳せたりと楽しい時間が過ごせます。
箱根湯本駅からは「B. バスルート」の方向に歩いて、5分程度です。早雲寺からの帰りは長い下り坂なので、徒歩でも良いかもしれませんね。帰りの電車に乗る前の、足湯も良さそうです。
小田原は、農政家である二宮尊徳の出生地であります。駅前には銅像も建てられ、小田原を代表する偉人だと伝わってきます。また、小田原城そばには報徳二宮神社や報徳博物館があり、気軽にカフェも楽しめるスポットになっています。
時間のある方は、小田原駅から3駅ほどの尊徳記念館もおススメです。こちらは、二宮尊徳生家に隣接していて、展示も充実しています。
… 実は倉本長治も昭和46年(1971年)春に、こちらを訪れていました。
倉本長治が腰を掛けていたのは、二宮尊徳生家の向かって左側の軒先でしょう。やはり日本の商道徳を扱う方だっただけに、二宮尊徳も外せない偉人だったようです。
雑誌「商業界」にて、二宮尊徳に関する言及はそこまで多くありませんでしたが、評価はむしろ高かったように思われます。
◆ 倉本長治が感心した「二宮尊徳のことば」
『「神儒仏の書、数万巻あり、それを研究するも、深山に入り座禅するも、その道を上り極まる時は、世を救い、世を益するの外に道あるべからず、若し有りといへば邪道なるべし。正直は必ず世を益する一つなり」
という二宮尊徳(金次郎)の残した言葉に私もすっかり感心しているのである。全く同感、長年職業に関する「何かの信念」を求めて書物を読み取るということを続けて来た私にもそうとしか思えないからである。』
出典:雑誌「商業界」1970年9月号より
二宮尊徳のこの言葉は、弟子が記した「二宮翁夜話(にのみやおうやわ)」巻の四からです。一応、現代語訳も追記しておきましょう。
◆ 「二宮尊徳のことば(現代語訳)」
『神儒仏の書が数万巻ある。それを研究するのも、深山に入って坐禅をするのも、その道を上り極めるときは、世を救い、世に利益をもたらすほかには道はあるはずがない。もしあるとすれば邪道であろう。正直は必ず世に利益をもたらすもの一つである。』
出典:「二宮翁夜話」中公クラシックス版
農政家であった偉人・二宮尊徳は、商業に関することばも多く残しています。その中でも、このことばに感銘を受ける倉本長治の審美眼もまた、商業の偉人だと感心させられた次第です。