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 2021年のブログ開設から自分なりに『王道と覇道』モデルについて考察を重ねてきました。そして前の記事でやっと総括的にまとめる事ができた次第です。

… その過程で「日本の商道徳」についても、深く考察してきました。しかしながら、この辺りの思想の特性として、実際の活用がなかなか難しい!という側面もあります。


今回の記事は、『王道と覇道』モデルの総括・後編です。「日本の商道徳」の実際の活用について、ぜひ一緒に考えてみましょう。

ー「日本の商道徳」活用に向けてー

 あえて大げさな段落タイトルにしたのは、実はこれが(意外と?)難しい事だと思うからです。「日本の商道徳」を活用するには、色々な障壁がありました。

先ずは『王道と覇道』モデルをふり返りつつ、次に私の過去の体験を交えながら考察を進めましょう。

前回の「『王道と覇道』モデル総括」をふり返る

 こちらがその『王道と覇道』モデルです。前回の記事で総括的なまとめができました。

☆『王道』と『覇道』で売り方を捉える
☆『王道』と『覇道』で売り方を捉える
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この図は、私のライフワーク「売り手は何をしても良いのか?その線引きは?」という根源的なテーマに対しての解を示しています。結論的には、古の「孔子や孟子の教え(儒教)」を元に線引きすれば、明確に整理できる… というものです。

『王道』の下に連なるキーワードは、「日本の商道徳」関係で見聞きした事が並んでいます。「日本の商道徳」は、前述の「孔子や孟子の教え(儒教)」に大きな影響を受けてきました。

この5項目のキーワードで最も大事なのが、3番目の「相手の都合から」です。儒教の「先義後利(せんぎこうり)」という教えから、現代の誰にでも通じる平易なひと言で表現した次第です。

☆『王道』と『覇道』で売り方を捉える
◆ 先に現れるのが『覇道』
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『覇道』に連なるキーワードは、『王道』のそれを反転させたものです。

そして、『王道と覇道』モデルは、先に『覇道』が現れ、それを見かねた『王道』側がゆり戻してバランスを取る傾向にあります。しかし、「『覇道』は全て『王道』に置き換わる」のかと言うと、それはちょっと不自然だと言わざるを得ません。

確かに理想的ではあるものの、私は現実・実務的では無いと思います。それは「人間の本質」的な姿が、『王道』側ではなく、そもそも『覇道』側にあると考えるからです。

『王道』は、「打算や欲望」に流れがちな人間が目指すべき境地… とするのが、自然な着地点だと思います。


 江戸時代の大商人・三井家の三代孝房にヒントを求めると、『王道』のみ『覇道』のみでは難しいことを著書「町人考見録 」内で「計算なしに慈悲が深すぎるのもまた愚かなことである。」と言及されていました。

☆「商い(セールス)」は『王道』『覇道』の重なり部分
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では、現在で言う「ビジネス」、昔で言うところの「商い」は、『王道と覇道』モデルのどの部分か?というと、私は二つの円(ベン図)の重なり部分だと考えます。

この重なり部分を、江戸時代の商人の文脈で表現すると「知恵」や「才覚」です。このように『王道と覇道』モデルは、日本の商人の系譜にも通底している事も示せました。


… そして、この『王道(日本の商人道)』を理想で終わらせず、もう少し先に進める(現実・実務的にする)なら、『覇道』を認めて『王道』と共に包括しよう!というのが私の結論となります。

本題:「日本の商道徳」を活用しましょう(案)

 前回のふり返りもしましたので、ここからは「日本の商道徳」の具体的な活用についてです。

「論語」が先か「算盤」が先か… ヤツの体験から(1/2)

 ここからは、私の体験も交えながら記していきます。(『王道と覇道』モデルは、また後ほど出てきます)

昨年の2024年7月から、ついに新札の流通が始まりましたね。新1万円札の肖像は、明治・大正時代の偉人である渋沢栄一(しぶさわえいいち)です。以前はいち歴史上の人物としての認知度でしたが、現在では飛躍的にその名が広まりました。

深谷市渋沢栄一記念館の渋沢栄一アンドロイド
渋沢栄一アンドロイド
(深谷市渋沢記念館)


その渋沢栄一の代名詞とも言えるのが、「論語と算盤(ろんごとそろばん)」です。


1916年(大正5年)が初版のこの本は、実は渋沢栄一が記した著作ではなく、晩年の講演の数々を各テーマごとに編集者が手を入れたものです。「論語(道徳の象徴)」と「算盤(経済の象徴)」は、一見かけ離れたものと判断しがちですが、一致させなければならないという、渋沢栄一の戒めが込められた表現となっています。

そして、最晩年の1923年(大正12年)には、その思想の集大成として「道徳経済合一説(どうとくけいざいごういつせつ)」という演説も録音されました。

生涯で約480社もの企業の設立に関わった事から「日本資本主義の父」と称されたように、渋沢栄一は日本の経済への貢献が評価され、2019年に新一万円札の肖像として選定されています。


… 私がライフワークとして、「日本の商道徳」に手を付けたのは2015年頃からです。その「日本の商道徳」の中心にあるのは、絶対に渋沢栄一だ!と目星をつけて掘り下げていたら、新一万札の肖像に決まり、また2021年にはNHK大河ドラマが放送され関係コンテンツやイベントも多くなり、大変に充実した時間が過ごせました。

その渋沢栄一の「論語と算盤」ですが、渋沢栄一記念財団さんにて、2011年から毎年読書会を開催しています。本書は全十章の構成なので、毎月一章~二章を読んできて参加者で話し合うスタイル(その年ごとに変更アリ)となっています。私もそこに参加した事があるのですが、やはり皆さん「日本の商道徳」の文脈が好き&関心の高い方が多かった印象です。

北区王子の「渋沢史料館」(2020年11月リニューアルオープン)
◆ 北区王子の「渋沢史料館」
(2020年11月のリニューアルオープン時)

 そんなある日のテーブルでの会話ですが、参加者の方が「渋沢栄一の教えは素晴らしいけど、これってどうやって活用すれば良いんですかね?」と発言し、一同が「うーん」となった事があります。笑 皆さん、時間やエネルギーを割いて参加しているので、そう思うのは至極当然なことですよね。

その場では私も上手くまとめられませんでしたが、以下の感じで話した記憶があります。

マルチタスクのように「論語(道徳の象徴)」と「算盤(経済の象徴)」を並列にすると混乱して進まなくなるので、順番を決めて処理していくのはどうでしょう?と。


「論語」が先なのか、「算盤」が先なのか… またまた悩ましい箇所ですが、良いお手本として渋沢栄一がいるので、その経歴から参考ポイントを挙げてみます。渋沢栄一は1873年に33歳で明治政府の官僚を辞し、第一国立銀行の総監役となりました。この実業家への転身の際には、このように話しています。

◆ 渋沢栄一と『論語』の特別な関係

「それは初めて商売人になるという時、(中略)志を如何に持つべきかについて考えた。その時前に習った論語のことを思い出したのである。

論語にはおのれを修め人に交わる日常の教えが説いてある。論語は最も欠点の少ない教訓であるが、この論語で商売はできまいかと考えた。そして私は論語の教訓に従って商売し、利殖を図ることができると考えたのである。」


出典:『論語と算盤』角川ソフィア文庫(第1章「処世と信条」 論語は万人共通の実用的教訓 / 1-5より)


渋沢栄一によって「論語(道徳の象徴)」が先と、ハッキリと示されました。しかしここは、かなり注意が必要なポイントが潜んでいますよ。渋沢栄一は明治・大正時代の、いわゆるカリスマ実業家(成功者)の一人として、絶大な影響力がありました。と言うことは、世間的に見ると「算盤(経済の象徴)」の人だったわけですね。

つまり「(論語を携えて)算盤」で成功を収めた渋沢栄一が、講演や雑誌などへの執筆で「論語」を説く… という入れ子状態になっています。成功者が「論語」を説くから、聞いてもらえたのです。


… ちなみに前述のNHK2021年大河ドラマ「青天を衝け」の全41回の各編には、下記のような編名が付けられていました。

大河ドラマ「青天を衝け」|NHKオンラインの公式HP
◆ 2021年開設時の「青天を衝け」公式HP
画像出典:NHKオンライン
  1. 血洗島・青春編(第1回~12回)
  2. 一橋家臣編(第13回~21回)
  3. パリ編(第22回~25回)
  4. 静岡編(第26回~28回)
  5. 明治政府編(第29回~31回)
  6. 実業<算盤>編(第32回~37回)
  7. 実業<論語>編(第38回~41回)


本作はもちろん渋沢栄一の生涯を描く大河ドラマなので、経歴が順に並べられています。こちらを見ても、やはり「算盤」が先で、「論語」が後でした。では、前述の「論語」が先なのか、「算盤」が先なのか… という問いの回答は、どうなるのでしょうか?

デジタル版 「実験論語処世談」 渋沢栄一が『論語』をテーマに実体験を語る
◆ デジタル版「実験論語処世談」
画像出典:渋沢栄一記念財団(リンク


変則的な回答ですが、私は「(①論語と)②算盤と③論語」という順を一つの結論としています。つまり現在の私たちもまずは「論語」に触れ、それを実際に「算盤」で生かし、成果が出せるよう務めたいものです。


… 最後に改めて「論語」を置いたのは、循環的・らせん的な役割を意図としています。渋沢栄一本人もポケットサイズの「論語」を実際に持ち歩き、事あるごとに開いていたと聞きます。

現代の私たちも、その教えを実際に活用する際に、必ずや右往左往するでしょう。最初から上手く人なんかそういません。道に迷いそうになったら、「論語」に戻れば良いのです。 渋沢栄一も日ごろから「論語」携え、そうしていたのです。


また、成果が出たら、渋沢栄一と同じようにその経験(「論語」の効能)を伝えていきましょう。現在ならブログやSNSなどでの発信も、循環的・らせん的な役割の一部として期待できますね。

ぜひ「買い手」に寄りそった「マーケティング」を… ヤツの体験から(2/2)

 私は以前、広告業界の販売促進(セールスプロモーション)関係の仕事に従事していました。実はその際に「マーケティング」という概念にすっかり魅了され、前述のライフワーク「売り手は何をしても良いのか?その線引きは?」に、辿り着いたという経緯があります。

人々の思惑が交錯する「マーケット(市場)」は、文字通り常に現在進行形(ing)で変容を繰り返しています。なのにそれを捉えようとする先人たちの蓄積が、とにかく面白く感じられました。


 とはいえ、一般的に「マーケティング」って言葉自体、何か意味がハッキリしない感じがしますよね。ここは記号を付けながら整理していきましょう(カチッとした定義は置いておいて、専門的になりすぎないように)。

先ず「A. マーケティング」を説明すると、「a. 売れる仕組み」と言えます。対義語は「B. セリング」で、意味は「b. 売る・売り込む方法」が適当でしょう。

この「A. マーケティング」が体系付けられたのは、「B. セリング」の後になります。第二次世界大戦後に人類は、初めて「大量生産・大量消費」という消費社会の時代に到達しました。それまでの時代は「需要>>>供給」という関係だったので、常に物資が不足している状態です。供給側は単に「b. 売る方法」があれば良かったのです。

ところが、「大量生産・大量消費」という時代に入ると、次第に「需要<<<供給」と供給側がダブついた状態になっていきます。必然的に、競合・ライバル会社や商品も増えるので、「b1. 売る方法」は「b2. 売り込む方法」に変容せざるを得ません。そのような背景で、多種多様な「a. 売れる仕組み」が生み出され、後に「A. マーケティング」として学問的にも体系付けられました。

… ここで違う視点を加えると、「BB. 売り手」の力が弱まり「AA. 買い手」の力が強くなったとも言えます(この視点、実は私のブログのカテゴリー分けです)。


下記にその関係性をまとめます(二段目にこれまで述べた点を加筆しました)。

A. マーケティングB. セリング
損して得とれ得して得とれ
a. 売れる仕組みづくり
(「AA. 買い手」の都合)
b. 売る・売り込む方法
(「BB. 売り手」の都合)
明日の糧今日の糧
分析力・想像力中心アクション中心
戦略思考日常業務的思考

出典:「マーケティング(’13)」放送大学教材
※筆者が加筆と改変


また、「マーケティングの最終目標はセリングを不要にすることだ(P.F.ドラッカー)」という有名な格言もあり、この対比は一見すると『王道と覇道』モデルにも重なりそうですよね。

しかし、私がここで懸念したのは、「A. マーケティング」側でも「BB. 売り手」都合の悪徳商法が成り立ってしまうという事です。たまに業界の人が「A. マーケティング=善」「B. セリング=悪」という単純な図式に持っていこうとしますが、実はそうならないのは明白です。

そう気づくと「A. マーケティング」対「B. セリング」だけでは、なんだか全然物足りなく思えてくるんですよね。

… そんなモヤモヤしたある日に、私が銀座の本屋さんで出会ったのが、前述の「論語と算盤」です。「日本資本主義の父」と称された渋沢栄一が、マーケティングよりもっと大きな枠組みで、とっくに解を示していたと知りました。

まぁ、よくよく考えてみると、この「マーケティング」は主にアメリカを中心に発達した系譜です。「商人道の系譜」がある日本の市場で、そのエッセンスを加味する事はなんら不自然な話ではありません。そこで、渋沢栄一をお手本に「論語」的な視点を加え、「A. マーケティング(「AA. 買い手」の都合)」対「B. セリング(「BB. 売り手」の都合)」としての、『王道と覇道』モデルの原型を考案しました。



 ここでタネ明かしですが、実は『覇道』の正体は「B. セリング(「BB. 売り手」の都合)」です。しかし、『王道』は、「A. マーケティング」のみでは不足がありました。そこで、日本の商人道的な(「AA. 買い手」の都合)」も加味したという訳です。

☆『王道』と『覇道』で売り方を捉える
☆『王道』と『覇道』で売り方を捉える
(再掲)

日本の商道徳を実際に活用するなら、ぜひ「AA. 買い手」に寄りそった「A. マーケティング」を検討してみましょう。

「日本の商道徳」活用の手引き

 前回の『王道と覇道』モデルをふり返り、「日本の商道徳」をどのように活用すべきかを考えてきました。下記に私の体験を整理して、手引きを示します。

 整理の一点目です。現在の私たちも「論語」に触れ、それを実際に「算盤」で生かし、成果が出せるよう務めましょう。こちらは変則的な「(①論語と)②算盤と③論語」という順でしたね。

全二十篇の「論語」には、堅苦しくて読みがたいイメージが付いています。しかしながら、各篇はものの15分程度あれば、サーっと読めてしまうんですよね。という事は、ひと月あれば読破も夢ではありません。



… とはいえ、皆さん忙しいでしょうから、予め「論語」のエッセンスを抽出してまとめておきました。え?どこにあるかって?何度かご覧になった『王道』の下にありますよ。笑

  • 『王道(おうどう)』の5項目(再掲)
    • 徳や仁
    •  (を)尊ぶ
    • 相手の都合から
    •  三方よし
    • 善悪で判断

改めてですが、この5項目は「論語」に強い影響を受けた「日本の商道徳」周りから選定したものです。もし、進む道に迷いそうになっても、この5項目が確かな指針にもなり得ますよ。

 整理の二点目は、ぜひ「買い手」に寄りそった「マーケティング」を検討してみましょう、です。

しかし、これは小手先の「〇〇マーケティング」をしよう!という類いではありません。よく誤解されがちですが、例えば「SNSマーケティング」のような単なる施策は、「マーケティング」のほんの一部分で狭義なものでしかありません。


… でも、決して専門的で難しいことでは無いので、ご安心ください。

実は本質的に「マーケティング」って、誰でもやっている事なんです。普段の生活でも、大事な人に向けて何かプレゼントを考える機会があるかと思います。

対象が喜ぶような何か(プレゼントなど)を、以前の会話などを思い出しながら選び、ふさわしいタイミングで渡す。対象が喜んだり感謝する姿を見て、何だかこちらの気持ちも温かくなる瞬間ですよね。

これら一連の流れは、広義の「マーケティング」活動を表しています。上記のプロセスとして、顧客を選定 → リサーチ → オファーを選定 → 時と場所を選定 → コミュニケーション方法を選定 → 実施!という具合です。

そして上記のプロセスは、前述の「A. マーケティング」が「a. 売れる仕組み」づくりと説明した、実務的な解説にもなっています。

◆ 『王道』は「中長期的視座」かつ「全体最適」
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以上から分かるように、「買い手」に寄りそった「マーケティング」は、そんなに難しい話ではありません。しかし、ここで注意点があります。『王道』側は「先義後利」のスタンスなので、リターン(利)までにワンクッションの時間が必要となります。

と言うことで、上記の図にも「中長期的視座」と記しました。ただ「買い手(相手)都合」は日本の商道徳とも通底しているので、持続可能な「全体最適」という大きなメリットがあります。

『覇道』の大事な大事な役割について

 対して『覇道』側には、「短期的視座」と記しました。加えて、儒教的な「先義後利」の対だと、「先利後利(せんりこうり)」とでも言うべきでしょうか。「先に利を得たのに、後も利を得たがる」という身勝手な「売り手(自分)都合」のスタンスが浮かび上がりますね。


こんな商いは「部分最適」でしかなく、もちろん持続可能性などは全く期待できません。渋沢栄一も『論語と算盤』内で、このように話しています。

◆ 渋沢栄一が喝破した「持続可能な富」

「(前略)その富をなす根源は何かといえば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ

ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめることが、今日の緊要の務めと自分は考えているのである。」

出典:『論語と算盤』角川ソフィア文庫(第1章「処世と信条」 論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの / 1-1より)


… この渋沢栄一の言葉を見ると、「やはり『覇道』は不用では?」と思うかもしれませんよね。しかし、前回でも強調したのですが、『覇道』を認めて『王道』と共に包括しよう!というのが私の結論です。ここは全く変わりません。

それでは、ここで私の考える『覇道』の大事な役割を、二点挙げておきましょう。


一つ目は、ズバリ「気休めアイテム的な精神安定剤」です。『王道』のみの完璧主義だと、気疲れすると思いませんか?自ら手かせ足かせを付けてしまい、身動きができなくなる危険性がホント高いのです。
(「日本の商道徳」を実際に活用する際のボトルネックは、まさにこの点が大きいと思います。)

現在の「ビジネス」・江戸時代の「商い」は、あくまで『王道』と『覇道』の重なり部分です。

「人間の本質」的な姿は『王道』側ではなく、実は『覇道』側にあると私は捉えています。その点を加味しないと、現実・実務的とは言えない状態になるはずです。



二つ目は、「売り手」としての働きかけです。『覇道』の正体は「セリング」だと前述しましたが、「買い手」に寄りそった「マーケティング」が整備出来たので、次はいよいよ広く薦めましょう!という段階です。

プレゼントの例えで表現すると、大切な人に向けて選んだプレゼント(=『王道』的なマーケティングの成果)を、同じように喜んでくれる人たちにも広く薦めるという図式ですね。

もちろんこの段階は、『王道』の延長線上にある事は言うまでもありません。誰でも良いからと「売り手」の都合で「売り込む」のとは訳が違いますよ。


… このように、現実・実務的には「買い手」の都合と「売り手」の都合は、上手く折り合いをつけて運用する必要があると考えます。このバランス感覚こそが、江戸時代の商人が示した「知恵」や「才覚」です。



 渋沢栄一も「論語と算盤」で指摘していますが、孔子は「義に反した利」は戒めましたが、「利」そのものを否定はしていません。「利」を求める事は、実は全然悪いことではないのです。現在の私たちも「義に則した利(先義後利)」を、実際に活用していければと思います。

残念ながら、私たちは「聖人君子」にはほど遠い存在です。人間の本質的(弱さや不完全さ)な姿である『覇道』の性質を自覚しつつ、あくまで『王道』は理想として念頭に置くのがポイントになるでしょう。

今回の「ヤツの見解」まとめ

 「日本の商道徳」活用について記すと、自然と私の体験をさかのぼる記事構成になります。なぜかというと「売り手は何をしても良いのか?その線引きは?」という疑問が、私の根源的なテーマだったからです。

『王道』は理想として床の間に飾っておくのも良いですが、せっかくなら活用したいですよね。しかし、活用する際にボトルネックになるのが、『覇道』の取り扱いだと思います。この取り扱いを間違えると、現実・実務と乖離した状態になり得ます。

まさに『覇道』側の人たちがよく言う、「キレイゴト」って状態ですね。

…その点を踏まえ、私は「(論語と)算盤と論語」を通じて、「買い手」に寄りそった「マーケティング」というステップをお勧めしています。

「販促会議」2012年4月号の表1
「販促会議」2012年4月号の表1
(画像出典:Amazon)


 「日本の商道徳」関連って活用が進んでいるかと言うと、そうでも無いんですよね。上記は私がいた業界の専門誌ですが、最初で最後?の「商人道」特集はなんと2012年です。笑 

「買い手」に寄りそった「マーケティング」って、実は当たり前じゃないんですよ。何か耳心地の良いフレーズでも、業界の皆さんは忙しいので、その根拠にまでたどり着くヒマなど無いのが実情です。


… だったらヒマ人の私が掘り下げてみようと、(ちょっとした使命感にも駆られながら)ライフワークとして色々と考察してみました。

「論語」はホント良いですよ。皆さんもぜひ触れてみてください。

手を振る渋沢栄一アンドロイド(渋沢栄一記念館, 深谷)