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 こんにちは、ヤツです。今回の記事は、弊ブログカテゴリーの「日本の商道徳」からはギリギリ外れますが、どうしても紹介したい江戸時代(元禄期)の商人の「二大・処世術」についてまとめました。

当時の商人たちが、どのような「戒め」を見出したのか?

… 今回はその本質に迫り、最後にその共通項をピックアップして考察したいと思います。


元禄期に生まれた「江戸商人の二大・処世術」

 ひとくちに「江戸時代」と言っても、約260年も続いた長い時代区分ですよね。その中で「元禄期」は、江戸時代の「前期」にあたります。この時期は、経済の基軸が「米」から「貨幣」への移行が始まり、未曾有の好景気(元禄バブル)に沸いた時代を迎えます。

このような時代背景のもと、「日本の商人・商い」を題材にした二冊の書籍が刊行されました。

  • ①『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』
    • 成立:1688年(元禄元年)
    • 著者:井原西鶴(いはらさいかく)
    • ジャンル:浮世草子(うきよぞうし:町人の生活をリアルに描いた小説)
  • ②『商売往来(しょうばいおうらい)』
    • 成立:1694年(元禄7年)
    • 著者:堀流水軒(ほりりゅうすいけん)
    • ジャンル:往来物(おうらいもの:寺子屋などで使われた初等教科書)


上記の二冊はジャンルは違えど、ともに大坂(現在の大阪)から出版され、後世の私たちにまで読み継がれる「日本の商人・商い」の名著となっています。


 当時、商人の台頭によって華美な文化が花開いた一方、特権商人をはじめとして過度な驕りや贅沢で家業を潰す者も後を絶ちませんでした。

江戸時代の身分制度として知られる「士農工商」においても、商人は「自らは何も生産せず、物を右から左へ流して利益を得るだけ」として、長らく賤しい存在と見なされていました。さらに加えて、幕府公認の学問であった「朱子学(しゅしがく:「儒教」の一種)」が、利益追求を卑しいとするその価値観(賤商観)を理論的に強く補強していたのです。


… しかし、商人たちは持ち前の「商売勘」で、独自の生き残り戦略である「処世術」を確立していきました。

その「処世術」を二冊の文献から見ていきましょう。

①『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』の序文より

 先ずは「町人物」という新たな分野を確立させた井原西鶴の人物像から見ていきます。

◆ 井原西鶴像
(大阪府大阪市天王寺区生玉町)

井原西鶴は元禄バブルに沸く大坂を拠点に、町人たちの生き様をリアルに描き出した「浮世草子」の開祖です。

  • ①『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』
    • 成立年:1688年(元禄元年)
    • 著者:井原西鶴(いはらさいかく)
    • ジャンル:浮世草子(うきよぞうし:町人の生活をリアルに描いた小説)


その浮世草子において、町人たちのリアルな金銭感覚や経済生活を描く「町人物」を確立させたのが、この『日本永代蔵』となります。もちろん当時の大ベストセラーとなりました。


こちらは「日本初の経済小説」とも評され、当時の商人が富を築き、あるいは失っていくリアルな栄枯盛衰を描いた作品です。全6巻・30話で構成されており、元禄バブルの世相が生き生きと活写されていて、ホント楽しい一冊ですよ。

ちなみに、副題には「大福新長者教(だいふくしんちょうじゃきょう)」と付けられています。これは1627年(寛永4年)に刊行された『長者教』を念頭に置いたものです(加えて『徒然草(つれづれぐさ)』の第217段「ある大福長者の云わく~」も踏まえているかもしれません)。

『長者教』は賢い少年が3人の富豪にその秘訣を聞く…という話が中心の教訓書となっていました。


井原西鶴は『日本永代蔵』を通して、実に約60年ぶりの「長者教」のアップデートを試みました。そのエッセンスは本書「巻一の一」の冒頭(「序文」に相当する箇所)に色濃く表されています。



… 井原西鶴が生まれ育った大坂の地には、その功績をたたえる「西鶴文學碑」が建てられています。大坂商工会議所の裏手、東横堀川沿いに佇む石碑には、『日本永代蔵』の「序文」が刻まれているのです。

◆ 功績をたたえる「西鶴文學碑」 (大阪府大阪市中央区本町橋)
◆ 功績をたたえる「西鶴文學碑」
(大阪府大阪市中央区本町橋)


名文として名高いその冒頭部分ですが、実は私の「座右の文」でもあります。この序文が持つ世界観が好きで、読むたびに「うおおおおおおぉ!!!」って、胸が沸き立ちます。笑

『日本永代蔵』は本編(全6巻・30話)も良いのですが、私にとってこの冒頭はまた格別な文なのです。

序文(1/4):人は実あつて偽りおほし

 それでは、その序文を見ていきましょう。

全体を4分割し、前述の角川ソフィア文庫版の「本文」と「現代語訳」、そしてそれらを元に作成した「本文の読み上げMP3(音声)」を合わせて掲載します。


冒頭部分がホントに秀逸なので、ぜひ再生ボタンを押して聞いてみて下さい。
(※ AI で生成した音声なので、少々ぎこちない箇所も有りますがご容赦願います)

◆ 序文(1/4):人は実あつて偽りおほし

・本文
「天道言はずして国土に恵みふかし。人は実あつて偽りおほし。その心は本虚にして物に応じて跡なし。これ、善悪の中に立つて、すぐなる今の御代をゆたかにわたるは、人の人たるがゆゑに、常の人にはあらず。」


・現代語訳
「天は、何も言わないで、国土に深い恩恵を施している。それに対して、人間は誠実でもあるが、また虚偽も多い。それは、人の本心が元来、空虚なもので、何かの事柄に応じて、心は善ともなり悪ともなるもので、その事柄が去れば、またもとの空虚に帰してしまうものだからである。そうした善と悪との間に揺れ動いて生きる世の中にあって、政道の正しくおこなわれている今の時代を、何不足なくゆったりと暮らしている人は、ほんとうに人らしい人なのだから、決して凡庸な人間などとはいえない。」


出典:『新版 日本永代蔵 現代語訳付き』角川ソフィア文庫(巻一の一より)


 もう冒頭部分から、たまらないですね。笑 現在でも「お天道様」なんて言ったりしますが、ここでは天への深い畏怖の念が感じられます。

「天地(てんち)」は、古典的な東洋思想で見られる概念です。この冒頭「天道言はずして」までの部分は、当時よく読まれた中国古典の名作選である『古文真宝(こぶんしんぽう)』の一節(後集・巻之四・記類、王元之「待漏院記」)を踏まえています。その後に「国土に恵みふかし。」と繋げるのが、井原西鶴のまたホント絶妙な表現だと思います。

井原西鶴は、もともと名を馳せていた俳諧(連句)の宗匠でした。そうした経歴からも、七五調を基調とするリズミカルで音楽的な文体や、縁語・掛詞といった伝統的な修辞技法が巧みに活かされているのでしょう。


そして、その後に続く「人は実あつて偽りおほし(人間は誠実でもあるが、また虚偽も多い)」が、また唸らされるんですよ。無言で恩恵を施す「天」との対比として、善悪の間で揺れ動きながら生きる人間のリアルな姿(人間臭さ)が描かれており、これは時代を超えた普遍的な姿だと言えるはずですね。


 続く「その心は本虚にして物に応じて跡なし。」も、前述の『古文真宝』の一節(後集・巻之五・箴類、程正叔「視箴」)を踏まえています。

… 先ほどの「人は実あつて偽りおほし」を、井原西鶴が『古文真宝』の引用と引用の間に入れた事によって絶妙な冒頭となっていますね。欲や矛盾を抱えた「リアルな人間社会の物語(『日本永代蔵』全6巻・30話)」へと見事に昇華されていると感じます。


そして、この序文を通じて「始末・才覚・算用」という商人にとって、不可欠な三大要素が説かれていくのです。
(※当時は倹約の意味が強かったが、「始末」は単なるケチではなく収支を合わせるコスト管理、「算用」はそろばんに合うかの採算性、「才覚」は商才や機転を指します)

序文(2/4):始末大明神の御託宣

 では、続きを見てみましょう。今度は一転して、井原西鶴のユーモアが垣間見えます。

◆ 序文(2/4):始末大明神の御託宣

・本文
「一生一大事身を過ぐるの業、士農工商の外、出家・神職にかぎらず、始末大明神の御託宣にまかせ、金銀を溜むべし。これ、二親の外に命の親なり。」


・現代語訳
「一般人にとって、一生の一大事は世渡りの道であるから、士農工商はもとより、僧侶・神官に限らず、どういう職業にあっても、倹約の神様のお告げに従って金銀をためなければならない。この金銀こそ両親を別にしては命の親と呼ぶべきものである。」


出典:『新版 日本永代蔵 現代語訳付き』角川ソフィア文庫(巻一の一より)


… 実はこの箇所って、ただ「みんな倹約してお金を溜めろ」と言っているに過ぎません。笑 

たぶん当時の人たちの間でも、常識的な事だったと思われます。しかし「始末大明神(倹約の神様)の御託宣」といった表現を用いて、大真面目?に神格化(パロディ化)している点に、井原西鶴流のユーモアが光りますよね。


そして、ため込んだ金銀は何と「二親の外に命の親なり」とまで言い切り、「倹約」をこれでもか!と強調します。

序文(3/4):死すれば、何ぞ金銀瓦石には劣れり

 「倹約」からの続きですが、また一転して何かしっとりとした、無常観さえ漂うトーンに移り変わっていくのに注目です。

◆ 序文(3/4):死すれば、何ぞ金銀瓦石には劣れり

・本文
「人間、長くみれば朝を知らず、短くおもへば夕におどろく。されば、「天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客、浮世は夢幻」といふ。時の間の煙、死すれば、何ぞ金銀瓦石には劣れり。黄泉の用には立ちがたし。しかりといへども、残して子孫のためとはなりぬ。」


・現代語訳
「だが、人の命は、長いものと思っても、翌朝どうなるかわからないし、短いものと思えば、その日の夕方にもどうなるかわからないものだ。だからこそ中国の詩人も、「天地は万物をやどす宿屋のようなもので、歳月は永久にすぎ去る旅人のようなもの、人生は夢まぼろしのようなものだ」と言っている。まことに人の命は、ほんのわずかの間に火葬の煙と消え失せてしまうもので、死んでしまえば、金銀とても何の役に立とう――瓦や石にも劣るものだ。あの世の用には役立たない。とはいうものの、それは残しておけば子孫のためになるものだ。」


出典:『新版 日本永代蔵 現代語訳付き』角川ソフィア文庫(巻一の一より)


 このように、何を言い出すかと思えば「人間の生命には限りがある」と、急展開しはじめるのです。笑

そして、みたびの『古文真宝』からの一節(後集・巻之三・序類、李太白「春夜宴桃李園序」)として、現代の日本でも「詩仙」として親しまれる「李白(りはく)」の名文「天地は万物の~」が引用されます。

… そんな無常観に浸ったころに、「死すれば、何ぞ金銀瓦石には劣れり。黄泉の用には立ちがたし。」と突き放されるので、結構驚かされた事でしょう。先ほど「金銀を溜むべし。これ、二親の外に命の親なり。」と言ったばかりなのに、これは何だ?と困惑するのは当然かと思います。


この後には「しかりといへども、残して子孫のためとはなりぬ。」と続け、一応の着地点を見せました。まぁとはいえ、何となく生じたモヤモヤ感が残ったかも知れませんね。

それでは、最後のパートを見てみましょう。

序文(4/4):これ、和国の風俗なり

 こちらが序文の締めくくりとなる、最後のパートです。先ほどのトーンからまたまた一変し、現実的な戒めで締めくくる構成となっています。

◆ 序文(4/4):これ、和国の風俗なり

・本文
「ひそかに思ふに、世に有る程の願ひ、何によらず銀徳にて叶はざる事、天が下に五つあり。それより外はなかりき。これにましたる宝船の有るべきや。見ぬ島の鬼の持ちし隠れ笠・かくれ蓑も、暴雨の役に立たねば、手遠きねがひを捨てて、近道にそれぞれの家職をはげむべし。福徳はその身の堅固に有り。朝夕油断する事なかれ。殊更、世の仁義を本として、神仏をまつるべし。これ、和国の風俗なり。」


・現代語訳
「ひそかに考えてみると、この世で人間が願うことのなかで、何によらず金銀の力でかなわないことといえば、天下に生・老・病・死・苦の五つがあるだけで、それより外にはないのである。とすれば、金銀にまさる宝がほかにあろうか。誰も見たことのない島の鬼が持っていると伝えられる、人の姿を隠すという隠れ笠や隠れ蓑を手に入れても、俄か雨の時の役には立たないから、そんな手の届くことのないような願いを捨てて、手近なところで、それぞれの家業をはげむのがよいのだ。また、幸運をつかむには、身も心も健康であることが肝心だから、常に油断をしてはならない。とくに世間の道理を第一として、神仏をまつるがよい。これこそ日本の風俗なのだ。」


出典:『新版 日本永代蔵 現代語訳付き』角川ソフィア文庫(巻一の一より)


トーンの変わる冒頭の箇所「銀徳にて叶はざる事(金銀の力でかなわないこと)」として、仏教的な「天が下に五つあり(天下に生・老・病・死・苦の五つがあるだけ)」と繋げます。

… この箇所が見事だと思うのは、前のパート(3/4)で「死ねば金銀は無力」という無常観を見せつけられて生じたモヤモヤを、鮮やかに反転させているからですね。


つまり「金銀万能の否定」と見せかけてますが、裏を返して「この五つ以外(金銀の限界)は、大概の事が金銀で対処できるゾ」と明示したと捉えて良いでしょう。


世の中は「生・老・病・死・苦」の五つを除けば、大概の事は金銀で対処できると明示されました。実際に現代でも、金銀で「病・苦」を和らげ、「老・死」の先延ばしさえも、ある程度コントロールできそうですよね。

では、残された「生」についてはどうでしょうか。実はここに至るまでのパートで「金銀を溜めろ。金銀は実の両親を別にしたもう一人の親と思え(2/4)」「残しておけば子孫のためになるぞ(3/4)」と、親から子へと命を繋ぐ話が述べられてきました。

… 実は「生(生きること・命を繋ぐこと)」への対処も示唆されていたと見るのは、飛躍しすぎでしょうか?

井原西鶴は、「金銀の限界」についてギリギリまで踏み込んだ上で、それでもなお「金銀こそが唯一の現実的な力だ」と、突きつけているように思えてなりません。
(前述の「西鶴文學碑(大阪市中央区本町橋)」に記された序文はここまでとなります。)


そして、「これにましたる宝船の有るべきや(とすれば、金銀にまさる宝がほかにあろうか。)」と喝破するあたりを見ても、そう見当はずれでも無いはずです。


 では序文の最後に繋がる「見ぬ島の鬼の持ちし~(見知らぬ島に住む鬼が持っているという、隠れ笠や隠れ蓑などは、にわか雨を避ける役にも立たない)」の箇所を見てみましょう。急にファンタジーな例え話が出てきて、どこか唐突な感じもありますよね。現代的に言うと少々「スベっている(失礼)」という感じも否めません。笑 

では、ここで言わんとしている事を現代的に訳してみましょう。隠れ笠や隠れ蓑といったものは、いわば「手に入りもしない未知のアイテム」や、どんな願いも叶える「魔法の杖」「楽してボロ儲け」「ショートカット」のようなものです。江戸時代の元禄期でも「にわか雨を避ける役にも立たない」のは明白でしょう。


… 現代で言うなら、SNSで流れてくる「未公開の爆上げIPO銘柄」や、インフルエンサー()が煽る「一発逆転の怪しい暗号資産」、あるいは「寝ていても月収100万稼げる魔法のツール」といったところでしょうか?

まぁ今も昔もそう変わりませんよね。


 さて、いよいよ序文の最後は「戒め」の言葉で締めくくられます。とはいえ、ここまでの流れを追ってくると、それが単なる「お行儀の良いお説教(戒め)」としては聞こえてこないはずです。

  • 『日本永代蔵』の序文を締めくくる「5箇条の戒め」
    • 一発逆転を夢見る暇があるなら、手近な家業に全力を尽くしなさい
    • 幸運を掴みたければ、まずは心身を健康に保つことだ
    • 順調な時ほど油断は禁物、常に最悪を想定せよ
    • 世間の道理や常識こそが第一である
    • そして、神仏への感謝を忘れてはならない


これらを総じて、「これ、和国の風俗なり(これこそ日本の風俗なのだ)」と結ぶのがまた心憎いと思います。と言うのも、江戸時代の元禄バブルという時期に、「日本の商いの土台」を明確に提示してみせたからですね。

あと、私がこれまでこれらの教訓をあえて「常識」「当たり前」の事と強調してきたのは、恐らく当時の商人達にとってはもう既知の共通認識(暗黙の了解)だったと思われるからです。


… そう考えると、「これ、和国の風俗なり(これこそ日本の風俗なのだ)」としての締めくくりは本当に秀逸で、読むたびに深く唸らされます。

結び

 ここまで『日本永代蔵』の序文(に相当する箇所)を見てきましたが、本作品の「結び」も確認しておきましょう。

◆ 結び

・本文
「金銀有る所にはある物がたり、聞き伝へて、日本大福帳にしるし、末久しくこれを見る人のためにもなりぬべしと、永代蔵にをさまる時津御国静かなり。」


・現代語訳
「金銀もある所にはあるものだが、こうした長者の物語をいろいろと聞き伝えて、日本大福帳に記し、末長くこれを見る人のためにもなるに違いないと、永代蔵に納めることにした。折しもよく治まる時を迎えて、御国も静かでめでたいことだ。」


出典:『新版 日本永代蔵 現代語訳付き』角川ソフィア文庫(巻六の五より)

 

 このようにスッ… と終わっていますが、前述したように『日本永代蔵』は当時の商人が富を築き、あるいは失っていくリアルな栄枯盛衰を描いた作品です。本編「全6巻・30話」は、成功譚もあれば失敗譚もあり、生々しい人間模様が描かれています。

序文では、七五調を駆使したリズミカルな雅な文体ながら、俗な「商い」をどこか格調高く語っていました。

それに対して本編では、ある意味「俗」をむき出しにした商人たちの姿を描きながら、井原西鶴はいくつもの名文句を残しています。

  • 抜粋!『日本永代蔵』中の名文句
    • 「世に銭ほど面白きものはなし(巻四の三より)」
    • 「ただ金銀が町人の氏系図になるぞかし(巻六の五より)」
    • 「ただ銀(かね)が銀をためる世の中(巻二の三より)」


見てください、このエグさ。笑

… 私はこの落差や対比こそが、『日本永代蔵』という作品の奥深さを形作っていると感じています。是非本編にも触れてみて下さいませ~。


②『商売往来(しょうばいおうらい)』の結びより

 次に、商家の子弟が読み書きや計算とともに学んだ、『商売往来』を見ていきましょう。

◆明治時代の絵入り小本版『商売往来』
(筆者所有物)

「商売」に続いて「往来」と付いていますね。「往来物(おうらいもの)」とは手紙のやり取り(往信と返信)の文例を通して文字や言葉を学ぶテキストのジャンルとなります。

中でもこちらの『商売往来』は商売に特化した初学の童(わらべ)向けテキストとして人気が高く、絵入りや増補版など次々と版を重ね、江戸の終わりから明治のはじめ頃まで長く親しまれました。

  • ②『商売往来(しょうばいおうらい)』
    • 成立:1694年(元禄7年)
    • 著者:堀流水軒(ほりりゅうすいけん)
    • ジャンル:往来物(おうらいもの:寺子屋などで使われた初等教科書)


広島県の三次市立図書館では、江戸期の往来物をはじめとする貴重な「往来本」が数多く収集・デジタル化されており、『商売往来』の最古板(初板本)も所蔵されています。

その所蔵目録に寄せられた解題(小泉吉永氏 記)によれば、本書の内容は大きく以下の4つの要素で構成されています。

  • 『商売往来』を構成する4つの要素
    • ①商取引の記録文字等(帳票・証文など)
    • ②貨幣名
    • ③商品名(衣食住・薬種など約300語)
    • ④商人生活の心得


私が『商売往来』で特に注目したいのは、結びの「④商人生活の心得(処世術)」ですね。こちらは後に詳しく触れるとして、先ずは冒頭の「書き出し」から見ていきましょう。

書き出し

 こちらは前述の三次市立図書館さん所蔵の『商売往来 釈文(しゃくもん)』を底本として、そちらを元に作成した「本文の読み上げMP3(音声)」を合わせて掲載します。

※『商売往来』の全文については、上記リンクからご覧ください。

◆ 書き出し

・本文
「商売往来 堀流水軒筆

およそ、商売に持ち扱う文字は、員数取遣の日記・証文・注文・請取・質入・算用帳・目録・仕切の覚えなり。」


・現代語訳
「商売往来 堀流水軒筆

およそ商売で扱う文書には、日々の金銭や品物の出入りを記した帳面、証文、注文書、受取書、質入れの書類、算用帳、目録、仕切りの覚え書きなどがある。」


出典:三次市立図書館所蔵『商売往来 釈文』を底本として、「本文」「現代語訳」を生成 AI を用いて作成・編集


冒頭で著者である「堀流水軒(ほりりゅうすいけん)」の名が出てきましたね。ペンネームのような「流水軒」は号で、実名は観中(直陳)だと伝えられています。

堀流水軒は江戸時代前期に上方(大坂・京都)で活躍した人物であり、京都の寺子屋で教えた手習い師匠とも、阿波徳島の出身で大坂で書を教える能書家など諸説あります。まぁ、多数の著作(往来本)を残した書家&作家と見て間違いないでしょう。

… その堀流水軒が創作した往来本が、この『商売往来』です。1字の重複も無く「商い」についての語彙や必須の知識が巧みに網羅されており、その構成にまた唸らされます。そして、音に出してみるとただの文字の羅列に終わらなく、リズミカルに読み下されるよう配慮されていましたね。


 前述の書き出しの部分「①商取引の記録文字等(帳票・証文など)」は意外と?あっさりと終わりました。

次の段落の「②貨幣名」では、大判や小判などの金子の種類が並び、天秤や分銅の単位まで細かく記され、初学の童(わらべ)向けテキストにかかわらず「偽物(贋金)に注意して本手を見極めよ」といった戒めまでしっかりと説かれています。


そしてこの後に続く「③商品名(衣食住・薬種など約300語)」は、「雑穀(ざっこく)」から始まり一般用語の物品が並びます。『商売往来』の紙幅のほとんどは、こちらの③が占めているので重たく感じるかもしれませんが、音に出してみるとそんなに~苦にならないかと思いますよ。

結び(1/3):まず手跡・算術の修業、肝要たるべき者なり

 では、結びの「④商人生活の心得」を3分割して、順番に見ていきましょう。

※前述の「三次市立図書館/「往来本」デジタルアーカイブ」の解題による分類では「生活の心得」とありますが、私はもう少し広く「処世術」として扱います。

◆ 結び(1/3):まず手跡・算術の修業、肝要たるべき者なり

・本文
「そもそも、商売の家に生るる輩、幼稚の時より、まず手跡・算術の修業、肝要たるべき者なり。しかうして、歌・連歌・俳諧・立花・蹴鞠・茶の湯、謡・舞・鼓・太鼓・笛・琵琶・琴稽古の儀は、家業余力ある折々、心懸け相嗜むべし。」


・現代語訳
「そもそも、商売の家に生まれた者は、幼い頃から、まず習字と算術を学ぶことが何より大切である。そして、和歌、連歌、俳諧、立花、蹴鞠、茶の湯、謡、舞、鼓、太鼓、笛、琵琶、琴といった芸事や教養は、家業に余裕がある折々に、たしなむ程度でよい。」


出典:三次市立図書館所蔵『商売往来 釈文』を底本として、「本文」「現代語訳」を生成 AI を用いて作成・編集


井原西鶴の『日本永代蔵』ではわざわざ語られていませんでしたが、商人に必要な知識として先ずは「手跡(読み書き)」や「算術(計算:そろばん)」を身につける必要があります。

… それらを怠ると、先ほど見てきた冒頭の「①商取引の記録文字等(帳票・証文など)」からつまづいてしまいますね。笑


 そして、芸事の名称が並べられ、「家業に余裕がある折々に、たしなむ程度でよい。」と戒めています。付き合いもあるでしょうし、教養として否定はしていません。

では、なぜ釘を刺す言い回しになっているか?は、次のセクションで述べられます。

結び(2/3):無益の至り、衰微破滅の基か

 こちらで述べられているのは、典型的な「商人の没落パターン」の一つです。

◆ 結び(2/3):無益の至り、衰微破滅の基か

・本文
「あるいは、碁・将棋・双六・小歌・三味線・酒宴遊興に長じ、あるいは、分限に応ぜず、衣服・家宅を飾り、泉水・築山・樹木・草花の楽しみのみに金銭を費やすこと、無益の至り、衰微破滅の基か。」


・現代語訳
「あるいは、碁や将棋、双六、小歌、三味線、酒宴や遊興に熱中したり、あるいは、身の丈に合わない衣服や住まいを飾り立て、庭園や築山、樹木や草花の楽しみにばかり金銭を費やしたりすることは、まことに無益の極みであり、やがて衰えや破滅を招く原因となる。」


出典:三次市立図書館所蔵『商売往来 釈文』を底本として、「本文」「現代語訳」を生成 AI を用いて作成・編集


ここでちょっと『日本永代蔵』に戻ります。

以前に書いた2つの記事(江戸商人の「成功と没落」について, 江戸時代の商人思想)でも紹介しましたが、『日本永代蔵(巻三の一「煎じやう常とはかはる問薬」より)』にて知恵や才覚に乏しい凡人向け?にこんな処方箋を残しています。

  • 「長者丸」の処方箋 / 比率
    • 早起き 5両 / 10%
    • 家業 20両 / 40%
    • 夜業(夜なべ) 8両 / 16%
    • 倹約(始末)10両 / 20%
    • 達者(健康)7両 / 14%


こちらが有名な「長者丸(ちょうじゃがん)」です。上記の5項目を薬に見立て、これをまじめに朝と晩に服用すれば… という井原西鶴流のユーモア溢れる処方箋となります。
(当時の「両」は、金貨と重さの単位で使われていました。)

そして、この「長者丸」をよく効かせるために、以下の「毒断(どくだち)」を推奨しています。

  • 「毒断(どくだち)」16項目を整理
    • A. 個人的な贅沢・美食・好色(3項目)
    • B. 家族・子どもの遊芸・教育(1項目)
      • 3. 息子に鼓や太鼓など種々の遊芸を習わせること
    • C. 文雅・武芸・道楽の耽溺(4項目)
      • 4. 蹴鞠・楊弓・香会・連歌・俳諧に耽る事
      • 5. 座敷普請・茶の湯道楽
      • 8. 町人に無用な居合・剣術
      • 14.(一部) 金で刀の目貫を装飾してひけらかすこと
    • D. 遊興・社交・無駄な外出(4項目)
    • E. 信仰・社交・事業の無駄遣い(4項目)
    • F. 金融・見栄の危険行為(2項目)


上記の太字にした「B」と「C」の箇所は項目も記しましたが、先ほどの「商人の没落パターン」とピタリと重なっていますよね。

当時から「親苦・子楽・孫乞食」 「売り家と唐様で書く三代目」なんて言われましたが、この16項目はそのまま当時の商人が身持ちを崩す原因であったのでしょう。


… そして井原西鶴はこの「毒断」16項目の羅列の後に、「斑猫・砒霜石よりも恐ろしい毒薬と心得て、口に出して言うことはもちろん、心に思ってもいけない。」と述べています。笑

結び(3/3):倍々利潤、疑いなし

 それでは『商売往来』の最後のセクションを見ていきましょう。「没落」への警句から、トーンが一転するのでご注目ください。

◆ 結び(3/3):倍々利潤、疑いなし

・本文
「総じて、見世棚は奇麗に、挨拶・応対・饗応、柔和たるべし。大いに高利を貪り、人の目を掠め、天の罪を蒙らば、重ねて問い来たる人、稀なるべし。天道の働きを恐るる輩は、ついに富貴繁昌し、子孫栄華の瑞相なり。

倍々利潤、疑いなし。

仍って件の如し。」


・現代語訳
「総じて、店先はきれいに整え、挨拶や受け答え、もてなしは、やわらかく穏やかであるべきである。目先の高い利益をむさぼり、人を欺くような商いをすれば、やがて天の咎めを受け、再び訪れてくれる客は少なくなる。一方で、天の道を恐れ敬う者は、ついには富み栄え、子孫の代まで繁栄する吉兆となる。

利潤は倍々に増え、そのことに疑いはない。

以上、ここに記したとおりである。」


出典:三次市立図書館所蔵『商売往来 釈文』を底本として、「本文」「現代語訳」を生成 AI を用いて作成・編集



では、どうしたら商人として「繁栄」できるのか?という問いに対する、堀流水軒の回答が上記となります。

… 初めて読む方は驚かれると思いますが、私の創作ではなく本当に『商売往来 釈文(しゃくもん)』にもそう書いてありますよ。
(ここで隠れ笠や隠れ蓑(裏技や魔法の杖)みたいなのを期待されていた方は~残念でしたね。笑)



堀流水軒が説いた「商売繁盛の極意」は、現代の私たちが読んでも拍子抜けするほどシンプル、かつ極めて本質的です。

  • 『商売往来』における「商売繁盛の極意」
    • 見世棚は奇麗に(クリンネス・店先の美化・環境整備)
    • 挨拶・応対・饗応、柔和たるべし(気持ちの良い笑顔と丁寧な接客)


そして天に対する畏怖の念があれば、そうそう悪い事などできません。目先の高利を貪ったり、客を誤魔化したりするような不実な商売をすれば、「重ねて問い来たる人、稀なるべし」と手厳しく喝破しています。


『商売往来』は初学の童(わらべ)向けテキストですが、「倍々利潤、疑いなし」と文末に記してあるのを見ると、「このテキストで真面目に勉強すれば儲かるぞ~!」と学習意欲に火をつけるキャッチフレーズだったかも?と、そんな風に思えてきます。


… それにしても、この「倍々利潤、疑いなし」ってホント良い言葉ですよね。(私もよく無意識に?口に出して呟いてます。笑)

まとめ(『日本永代蔵』『商売往来』に見る5つの処世術)

 今回の記事は、元禄期に生まれた「江戸商人の二大・処世術」として、二冊の書籍に着目しました。

  • ①『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』
    • 成立:1688年(元禄元年)
    • 著者:井原西鶴(いはらさいかく)
    • ジャンル:浮世草子(うきよぞうし:町人の生活をリアルに描いた小説)
  • ②『商売往来(しょうばいおうらい)』
    • 成立:1694年(元禄7年)
    • 著者:堀流水軒(ほりりゅうすいけん)
    • ジャンル:往来物(おうらいもの:寺子屋などで使われた初等教科書)


大人が楽しむ浮世草子(娯楽小説)、子どもが学ぶ往来物(寺子屋の教科書)と、一見すると読者層も目的もまるで違う二冊となります。しかし出版された年はわずか6年しか違わず、ともに未曾有の好景気(元禄バブル)に沸く大坂で生み出された作品です。


最後にその共通項をピックアップして、その「処世術」を整理していきましょう。

  • 『日本永代蔵』『商売往来』に見る5つの処世術
    • 天道(天地自然の理)への畏怖
    • 始末・才覚・算用(商人にとって不可欠な三大要素)の体得
    • 身心を健康に保ち、店先や棚の美化と柔和な接客の徹底
    • 隠れ笠・隠れ蓑(裏技や魔法の杖の類)の否定
    • 芸事や道楽など(本業がおろそかになる)への警告


元禄バブル期は、世間が浮かれ、目先の利益や一攫千金の誘惑に満ちていた時代でした。だからこそ「お天道様は見ている」という天への畏怖が、商人の暴走を食い止めるブレーキ役として機能したのでしょう。

そして、奇策や魔法の杖に頼らず・道楽に溺れず、「始末・才覚・算用」を身につけ、地道に店先や棚をピカピカに磨いて、笑顔でお客さまを迎える。と、同時に身心の健康も保ちましょう。
(※再掲:当時は倹約の意味が強かったが「始末」は単なるケチではなく収支を合わせるコスト管理、「算用」はそろばんに合うかの採算性、「才覚」は商才や機転を指します)


スマホや AI が普及した現在でも、三百年以上前の先人たちが書き残した「処世術」は、まっっったく!色あせていませんよ。


… それどころか、これこそ「日本の商いの原点」として、今後も伝えていきたいものですね。

「これ、和国の風俗なり。」「倍々利潤、疑いなし。」と。